生きることにこだわりを。魚住惇です。今回はネットとSNSのお話です。
僕はネットでコミュニケーションと言えばWindows Messengerの世代です。
少し上の世代では、チャットやパソコン通信などを嗜んでいた年齢層の方がいらっしゃると思いますが、僕自身はWindows MessengerやMSN Messenger、Skypeで高校時代を過ごしました。
大学に入学してからはmixiの時代を迎えます。また、教職に身を置いてからもしばらくの間はmixiが流行しました。その後はtwitterが登場しFacebookが流行し、今日に至ります。だいぶ端折りました。
今、勤務校の生徒の間で流行中なのが、BeRealというSNSだそうです。今回は中高生に話題のBeRealについて語ろうと思います。
BeReal以前のSNSざっくりまとめ
僕自身やったことはありませんが、どういうものなのかはだいたい想像がつきました。
そもそもSNSの発端は、リアルで行なっている人付き合いやコミュニケーションなどを、ネットでやろうというサービスです。
スマホが登場し、カメラの画質が上がったことで、使えるメディアが増えていきました。チャットが主流だった頃はテキスト、トラフィックが耐えられるようになったら音声通話、そしてカメラの登場で写真や動画が残せるようになりました。
人は何のためにコミュニケーションを取るのでしょうか。人それぞれ優先順位に違いはあれど、「共感」というのが大きな要素だと僕は思っています。
人々は共感されたいという思いから、情報をどんどん共有するようになりました。でもこの行動そのものは、ネット以前からもありました。家に帰ったら家族に今日職場や学校で起こったことや、見たものについて話すことも似たような物です。
これをネットで行うことで、これまでの人間関係の範囲を超えて活動できるようになりました。twitterなどがその代表例です。
僕が観測している限り、中高生が使うSNSの変遷はだいたいこんな感じです。
GREE,モバゲータウン,mixi
LINE
カカオトーク
twitter
facebook
instagram
TikTok
Snapchat
BeReal
スナチャは僕の観測範囲ではあまり使われていませんでした。そしてメールに変わるインフラとしてLINEが登場し、それ以外のチャットツールとしてはカカオトークが使われていました。カカオトークは韓国ではLINEのように使われていますが、日本では複アカの意味合いが強いようです。ネットだけの付き合いなら「LINEは教えられないけど、カカオはネット用だから良いよ」というように、彼らは連絡先を交換していた時代がありました。
それからInstagram、TikTokのように新たなSNSが登場する度にアカウントも増え、中高生はそれらのDM機能を使って連絡を取り合うようになります。この時点でLINEは家族や学校のクラス、部活の連絡専用のアプリという位置付けに落ち着きます。
この流れから見えてくるものは、中高生の多くはどのSNSを使おうともリアルの人間関係で関わる友人らとのコミュニケーションに使っているということでした。
僕の場合はその逆で、X(旧twitter)を使う理由の基本がリアル人間関係外とのコミュニケーションだったりします。その方がインターネット黎明期と考え方が似ていると言いますか、ネットにしかないメリットだと思うからです。
このギャップは15年前のホムペや前略プロフの時代であっても変わらず、いつの時代も高校生らにとってネットとはリアルの人間関係をより綿密にするためのツールという扱いでした。
BeRealってどういうSNS?
さて、もう動画だって十分に共有できるプラットフォームが整っているし、文字も写真も互いにシェアできるインフラが既にあります。そんな中、どうやってBeRealはあたらしいSNSとしてユーザー数を獲得したのでしょう。
大きなポイントは、プライベート空間の共有です。
ランダムに通知が届き、通知から2分以内に投稿しないと、他の人の投稿が見られない
SNS成功の鍵は、いかにつかえってもらえるかです。BeRealを使っていると、ランダムな時間に通知が来ます。その通知から2分以内に自分が投稿しないと、なんと他人の投稿が見られなくなります。
つまりROM専になれないということです。誰かの投稿を見るためには、まず自分から情報を発信しなければなりません。しかも通知をいつ受信するのかわからないので、まだかまだかと待ち構えるようになります。
通知のタイミングで何をしているのかなんて、誰にも予想がつきません。学校にいる時間帯かもしれませんし、仕事をしている時間である可能性も十分に考えられます。家でまったり過ごしていることもあれば、誰かと一緒にいることもあります。
つまりそれらの様子を共有することが前提だということです。えげつない。
しかも、投稿された写真は24時間以内に消えます。BeRealを使い続けるためには毎日1回以上は投稿する必要があるわけです。もちろん24時間で消えるので、友人の投稿を過去に遡って見ることも不可能です。
2つのカメラで写真・動画を同時撮影
まずBeRealで投稿しようとすると、インカメラとアウトカメラの両方での動画の撮影が始まります。そして途中で写真での撮影が入ります。つまり写真を撮るための準備をしている様子や、決定的瞬間を収めようとする瞬間までもが共有の対象です。
このハイスペックな昨今のスマホをフル活用する仕様によって、映える瞬間だけでなく、そこに至るまでの直前の様子もシェアするようになりました。ちなみに加工機能はありません。そのままの状態を発信することになります。
他人のフォロワーは見られない
SNSをやっているとどうしても、この人をフォローしているのは誰なんだろうと気になってしまいます。
その点BeRealは、他人のフォロワーが表示されません。つまり、その人を誰がフォローしているのかが分からないわけです。表示できないのなら、気にする必要もありませんし、リアルでの会話を促すきっかけにもなります。
写真などの投稿を純粋の楽しめるような工夫とも言えます。
自分の素顔を晒すSNS
インスタ映えという言葉があるように、Facebookが登場してからは、非日常とも言えるようなキラキラした体験を共有することが流行しました。Instagramなどで投稿される写真は加工を前提として身なりを整えた上での撮影というのもあり、ルッキズムの中心を走るようでした。
しかしBeRealは敢えてその映える瞬間を狙わず、投稿にランダム性を持たせました。これでいつもキラキラしている人は思い出溢れる様子を常に投稿することが可能です。
また、その友人のプライベート、例えば部屋で過ごしている様子を知ることもできるようになります。インスタではあれだけキラキラしているけれども、BeRealではその人の素の様子を見ることができる。しかしそのためには、自分も同じレベルのプライバシーを晒す覚悟も必要。
スクショがバレる
そうそう、大事な機能を言い忘れていました。スクショを撮ったらユーザー名が投稿者に通知されます。つまりフォロワーの誰がこの楽園の裏切り者なのかは一目瞭然です。
学校現場としての苦悩
BeRealを使えば友人のプライベートや面白い様子を見ることができる。差し出すのは自分のプライベート。
いくら情報の共有を促すのがSNSだとは言っても、結構な段階まで来たなという印象です。Zenlyでは友人らでGPS情報を共有していたというのに、それだけでなく現地の様子までもを共有するようになりました。
アラフォーの自分からしてみたら息が詰まりそうになるこの感覚も、もはや老害だと言われそうなほど、今の子どもたちは全てを晒そうとします。
学校現場としてはたまったもんじゃないです。学校で通知を受信してしまったら、その2分以内に校内で投稿するわけですから、生徒指導案件が増える一方です。
24時間でその内容も消えてしまうので、証拠が残りません。また、スクショを残そうとするとその時点で投稿者に通知が行き、人間関係に影響が出ます。だから校内で撮影された内容がアップされているという密告を受けたとしても、証拠を入手することが困難です。
スマホの画面を別のスマホで撮影することくらいしかないよなぁ。
僕自身は実名でXをやっているので、「SNSやるな」という言葉を生徒に言ったとしても一番説得力がありません。また、アプリやサービスの製作者の立場から言えば、そのサービスに如何に依存させるかを目的としているので、これについては成功だとも言えます。
それと同時に、そういう視点から物事を見ることができる人はメリットとデメリットを把握した上で、アプリをインストールするかどうかを判断できます。僕は実生活が壊れそうなアプリだなと思ったのでインストールしませんでした。
ただここまでのリテラシーを定員割れを起こしている高校の生徒に説明しても効果が望めません。彼らにとってBeRealは欠かせない存在であり、既に日常です。だからBeRealをやめなさい、退会しなさいという言葉も通じません。それに、BeRealと資本主義、SNSのユーザー争奪戦などを論じたところで、一番話を聞かなければならないとされる生徒は聞いてくれない可能性の方が高い。
結局我々教師ができることは、授業を妨害するような行為に対して、規律や校則を守らせることしかできません。他の生徒の迷惑にもなりますから。
僕はこうしてテクノロジーの進化による時代の変化を読み解くのが好きなんですけどね。現場ではそうも言っていられません。そんなウンチクじゃなくて、どうすれば生徒がBeRealなんてアホなアプリを消してくれるのかを考えなければなりません。
もう無理でしょう。時代は刻々と変化する。それはDXだって同じ。時代の変化は受け入れなければ。ただ最低限、人としての心を育てる立場としては、言えることもある。いつの時代にも共通して伝えてきたことは、恐らく今後も変わらないはずだから。
大切なことは折に触れて、言いまくるしかないんだ。
今回のnewsletterは以上となります。 「いいね」を押していただけるとうれしいです。内容に関するご意見ご感想がありましたら、「#こだわりらいふ」をつけたツイートや、Substack内のコメントまでお願いします。
人のこころを育てるという点において、誰かに迷惑をかけないというのは大事にしている視点です。頼るのはいいし、それが相手にとって負担となることはあれど、それは迷惑とはカウントしない。
むしろ、ルールを守ってる人たちに、迷惑。
だからこそ、校則を守り、授業中に写真を撮ることがどのような迷惑となるのかを考えるのが大事なのかな、と。
自分のこどもがそういうものに手を出して、そこにハマるようならば、どうするか?そんなことを考えさせられる話ですね。
通知機能をオフにして気づかなかったら、どうなるんだろう?
あと、通知を常に機にすることによって注意力散漫になるからこそ、一定の年齢以下は使用制限がかかるくらい実は脳の認知などにおいて負荷が高いのかなぁなんていろいろ考えることが多そうな案件ですね。
心中お察しします。
(その人たちがいつか親となりその子どもを見るのがわたしたち保育士の役目なのでなかなか人ごとじゃないんですよね、、、)