息子のイヤイヤ期、ついに始まる
生きることにこだわりを。魚住惇です。 今回もちょっとしたこだわりに、お付き合いください。
実は先週から体調不良が続いていました
知ってました?先週末から、魚住家の家族(自分、妻、子ども)全員が体調不良だったんですよ。
現在はほぼ回復状態で、子どももぴょんぴょん跳ねてむしろ困るくらい元気です。でも先週は僕も妻のゆかさんも共に職場を休み、子どもも保育園をずっと休むくらい、体調が悪かったのです。 こうした事態、今の時代にはいつかは起こるものだと思っていました。新型コロナウイルスに限らずです。
思い返せば、体調不良で一家全滅に陥ったのは今年で2回目でした。どちらも原因不明ですが、保育園の洗礼を受けたのだと思っています。
ちなみに1回目はGWでした。 その時の記録がnewsletterにも書いてありました。
プラレール×3Dプリンタで無限の可能性を模索する - by 魚住惇⌨️『教師のiPad仕事術』
ここでも同じことを書きましたが、僕はたとえ体調が悪くなろうとも、それをTwitter上ではあまり書かないようにしようと決めていました。体調が悪かったり、睡眠不足な時って、ネガティブな書き込みをしそうになりがちですが、それをやったところで体調が回復するわけでもなく、自分の気持ちがスッキリするかしないかくらいしか効果がないと思うからです。 それと、体調が少し悪いくらいでも、Twitterが平常運転ならば気づかれることも少なくて、フォロワーさんに余計な心配をおかけせずにも済みます。 確かに最近はRGガオガイガーが手に入らないからと、多少ネガディブになりがちなのは認めますが、体調不良に関しては決してアピールなぞしないと固く心に誓っていたのです。
体温の記録などについては、Obsidianのデイリーノートに残したり、学校にはロイロノートを通して記録を送っていたので、見返すための資料としては十分に揃っています。
この1週間、息子の高熱に悩まされる毎日でした。あと、2歳児は薬を飲んでくれません。粉薬が処方されますが、それを口の中には簡単に入れさせてもらえません。粉に数滴の水を含ませて粘土状にしたものを口の中にねじ込む作戦を毎回やってます。先輩の先生方のお知恵は絶大です。その後に、ゆかさんに用意してもらったフルーツで機嫌を取るわけですが、何度かやるうちに食後のフルーツを見るだけで薬だと察して、嫌がるようになりました。
僕自身も体調が万全ではない中での育児は、体にも心にもかなりストレスがかかって結構しんどいものです。それでもやるしかないんですけどね。 保育園を休ませ続けていたし、外出も1週間一切しませんでした。まだマスクが着用できない2歳児をお店に連れて行ってしまっては、頻繁に咳き込んでしまうと周囲にも迷惑をかけてしまいます。 そんなこんなで魚住家は、籠城生活を強いられていたのでした。
もしも今回の一家全滅が、GWの時のように僕のTwitterでは微塵も感じなかったのなら、作戦大成功です。もし本当に僕のツイートが1週間以上もなかったら、その時は生存を疑ってみてください。今回はちょっとだけ、体調不良だとは悟られないよう頑張ってみたつもりです。
息子のイヤイヤ期、ついに始まる
息子の誕生月は11月、もうすぐ3歳を迎えます。生まれは令和元年度、令和の子です。ギリギリコロナ前に生まれてきてくれました。
歩くのも喋るのも、平均よりも少し遅かった我が子がつい最近、「イヤ!」と「じぶん!」を覚えました。ついにあの「イヤイヤ期」がやってきたんだとワクワクしました。この時は。
イヤイヤ期が来るということは、確実に成長しているってことじゃないですか。いやぁ良かったよかった。
なんて他人事では済まされません。最初は「いや!」だけで済んでいたんですが、今回の体調不良週間の頃から外出できないストレスも重なり、この「いや!」が進化しました。
「いや!」が「いやぁああ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!」+大泣きに進化しました。ずっと隣で泣き声を聞いていると、精神的に結構きます。しかもそういうときこそ母親を頼るものなので、ゆかさんが精神的にまいってしまっています。
家族3人の体調不良が重なり、息子はイヤイヤ期を迎えたことによって、先週1週間息子はほぼ常に泣き叫んでいました。なかなかしんどさです。
24時間ずっと泣き叫んでいるわけでもないし、ご飯が美味しくて笑ってくれることもあります。それでもイヤと言っている時の方がデフォルトだと思えてくるほどの頻度を感じます。
試しにGoogle先生に「イヤイヤ期」と検索すると、関連ワードに「イヤイヤ期 いつから」や「イヤイヤ期 いつまで」がサジェストされたり、検索結果に出てくるどこのドメインかどうかもわからないようなブログのタイトルにも、そんな感じのキーワードが含まれているものがたくさん出てきます。
あぁ、みんな検索しているんだなぁとも思いつつ、終わりがいつなのかを知りたい人が多いんだなってのも分かりましたが、もうちょいマトモなサイトは出て来んのかね?と思ってタブを閉じました。
でも結局その後に一通り出てきたサイトを見て、だいたい同じことを書いてるなっていう共通部分を拾ってみると、1年ほど続くらしいということがわかりました。
この断末魔のような叫び、1年続くの?これが?毎日?365日?
Why?の言い換えが共感につながる
近頃は、割と流暢に話せるようになって、こちらからの質問も、Why?以外は質問の内容を理解してくれるようにもなりました。
この「なぜ?どうして?」という問いが通じないということに、今となってはある意味助けられています。
我が子と話していて思ったのは、小さな子が泣き叫んでいる時に、「どうしたの?」は一切通用しなかったということ。自分の身に何が起こっているかを説明できるようになるのはもっと先です。泣いたり怒り狂ったり、感情を制御できない人に向かってどうしたのかと聞く人がいますが、そんな時「この現状を見てわからねーのかよ!」と更に激高されるのが目に見えています。
かといって、「どうして泣いてるの?」も、理由を説明できない子どもにとって、火に油を注ぐようなものでした。
じゃあどうしたら良いものか・・・と試行錯誤しているうちに、ほんの少しですが、ちょっと質問のコツを理解しました。
「イヤイヤ期」真っ只中で泣き叫んでいる時は、自我が芽生えて自分がやりたいことがあり、それがうまくできなかったり、やらせてもらえなかったことがきっかけで泣きじゃくります。
当てられる確率が100%とまではいかないんですが、「なんで泣いてるの?」や「何が嫌なんだ?」と聞くのではなく、
「あ〜、わかった。○○が良かったんだね。」と、〇〇の内容を当ててみると、スッと泣き止んで「うん」と言ったのです。
これがね、ズバリと当てられると、最高に気持ちいいんですよ。心を読めたぞ!と、こちらとしてもかなり嬉しい気持ちになります。
運が良ければ、そのまま泣き止んでくれて、その通りに対応します。こちらの許せる範囲のことならば、別に僕もこだわらないので、子どもが思う通りに行動をとったほうが良いなと思ってます。
予定に関わることは強制力を発動
ただね、気持ちを理解したとしても、子どもの思った通りになんでもやらせてあげるわけにはいきません。
例えば典型的な例としてよくあるのが、保育園・幼稚園に送る前の着替え。少し前までは少し補助をするだけでほぼ自分で着替えができるようになったことを喜んでいた自慢の息子。今となっては、オムツと服を見ただけで「いやああああああ!!!」と言いながら脱走を図ったり、顔を見せないように伏せたりします。抱っこで持ち上げようとすると、肩の力をわざと抜いて、すり抜けようとします。
こんな時に、「そっかぁ、お着替えが嫌なんだね♪」なんて理解を示したところで、時は止まりませんし、着替えに気持ちが向くはずもありません。そんなことをやっている間にも、出発までのタイムリミットまで、刻一刻と時間が迫っています。
それに相手はまだ2歳児、時計や時間の概念がまだ理解できません。かといって、パジャマのまま登園させるのも、家庭での生活を疑われる元となります。
「何が嫌なの?」と改めて聞くのも愚問ですし、「着替えないと出発できないよ!」とキレてしまっては、自分のレベルを2歳児にまで落としてしまったのと同じです。
では、どうするのか。
息子「いやぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
父「そっかぁ、嫌なのかぁ〜」
ズボンざっ!オムツびりっ!!
いくら泣き叫ぼうが、涙を流そうが、ここでの目標は共感を得ることではなく、泣き止んでもらうことでもなく、お着替えタスクを実行することです。オムツは足を掴んででも上まで引っ張ります。ジタバタと抵抗するのなら、キックを首から上に食らわないような角度から、半ば強制的にでも服を着せるまでです。
気をつけていることは、強く押さえつけてしまって、子どもの手足の関節が変な方向に曲がらないようにするのと、大声で怒鳴らないようにすること。
大きな声でがなったりすれば、多少はいうことを聞くようになるんでしょうけど、それは恐怖による支配と同じなので、やらないように気をつけています。
これが正解なのか分かりませんが、怪我はしていないし、僕自身は割と正気を保っていて大声で怒鳴ったりもしていないし、まだ自分自身で着替えができないのなら、今のところこれしか方法が思い浮かばないなと言うのが本音です。
他の家庭では、どうやって着替えとかやってんだろ。気になります。
ちなみに息子が嫌がるものに、歯磨きの「仕上げはお父さん」と言うのがあるんですが、これもまた嫌がる嫌がる。泣き叫ぶ。
どちらかというと着替えよりかは楽でした。泣き叫ぶのさえ我慢できれば。一度泣き出してしまうと、泣いている時って基本的に口が空いているので、ぐりぐりシャカシャカし放題です。飛沫を存分に浴びることにもなりますが、歯はキレイになりました。
ただ、僕の今のやり方だと、「泣いている子どもを泣き止ませるタスク」が残っているとして、ゆかさんとの意見が食い違うことがよくあります。
これはまだ息子が生まれてまもない頃、夜泣きに悩んでいた時にも書いたんですが、ゆかさんは母親として、どうしても息子の泣き声が気になるようで。母親として本能が出てしまうのか、泣き止むまで何かしらの最善を尽くし続けなければならないという感覚でいるようです。
僕はもう、夜泣きの時も今回のイヤイヤ期の時も、「子どもは嫌だ嫌だと泣き叫ぶものだ」と認識しているので、次第に泣き声も気にならなくなりました。しかしそのまま気にせずObisidanに向かっていると、「泣いている子どもを放っているのはいかがなものか」と野次が飛ぶのです。
泣き声と野次が飛び交う中、子どもを抱っこでもしようと近寄ると、「おとーしゃん!あっち!(macのある方向)、おかーしゃん!いいのぉ!!」と息子にも怒られます。肝心なそのおかーしゃんが限界だから助太刀致すんですが。なかなかそうもさせてもらえません。
まるで自分の生写しだと思えるレベルで似ている息子、僕としては見ているだけで、何を考えているのか、どうしたいのか。何が希望なのかは手に取るようにわかります。
わかるんだけどね、お父さんが家を出発する時間は既に決まっているし、タスクは実行しなければならないんですよ。ははは。
何より心の支えになったものは、仕事
そんな感じに精神がすり減っていった1週間でしたが、昨日職場に復帰しただけで、かなり心が楽になりました。昨日、1週間ぶりに職場に復帰して、久しぶりに家族以外の人と会話をしたんですよ。
授業や部活、職員室での会話が全て新鮮でした。部活の時間が終わって他の部員が活動場所から帰っていくというのに、2年生のいつものメンバーはしばらく残っていたし。
生徒や先生方とは、Teamsを使えばいつでも連絡が取れるし、どこにいてもやりとりができます。DXが進んでいるとも言えますが、改めて、直接会って話すことの貴重さを再認識した気がします。
今の時代、メッセージを送ったり、音声で通話をしたり、リモート環境からでもコミュニケーションが取れるようになりました。僕が休んでしまったとしても、授業が成立できるような手立てはいくらでもあるくらいです。
それでもコストをかけて、台風が過ぎていった直後に学校に足を運んで、人が集まって生活をする。リモートが許容されつつある時代だからこそ、これまで当たり前だった「人と人とが直接会って会話をすること」の価値が相対的に上がっているように思います。
人間は群れで暮らす生き物。一人では生きていけません。きっと昔は群れる方が生存確率が上がることから、群れずには生きられないように、直接会ってコミュニケーションを取るようにプログラムされているんじゃないかとも思えてくるのです。
あと、僕は今の仕事が生き甲斐なので、かなり息抜きにもなりました。仕事をしていると楽しい。生徒のために学校のために仕事をしているだけで、僕はかなりの充実感を得ているなと思いながら昨日は過ごしていました。逆に言うと1週間も仕事をせずに家にいると、気分が滅入ってしまう自分にも気づけました。
1限からいきなり授業で、終わった頃にはちょっとフラついていましたが、徐々に仕事へのリハビリが進んでいます。幸いにも今週は金曜日が祝日なので、出勤は3日間だけで済みます。これを配信している日からカウントするとあと2日です。
今回は、なかなか絶妙なタイミングでの、魚住家の危機でした。それでも先週はなんとかnewsletterも書けたし、Twitterもいつも通り使えていました。今後何か起こったとしてもこの姿勢を崩さず、newsletterにだけはちょっとだけ詳しく書く予定です。
今回のnewsletterは以上となります。ちょっと暗い文章だったかもしれませんが、ここまでお読みいただきありがとうございました。魚住にエールを送ってくださる方は、「いいね」を押していただけるとうれしいです。イヤイヤ期への対応方法でおすすめがありましたら、「#こだわりらいふ」をつけたツイートや、Substack内のコメントまでお願いします。