生きることにこだわりを。魚住惇です。 今回もちょっとしたこだわりに、お付き合いください。
2人目が生まれた時のことを詳しく書いた
先週のnewsletterの最後の方、意味深な終わり方をしていました。
そうです。妻のゆかさんの陣痛が始まったところで急遽切り上げて、そのまま急ぎで配信しました。
今思えば、逆に臨場感があったんじゃないかなと思っています。
その日というか、その前日の3月21日の夜、実はまだ翌日配信予定のnewsletterが書けてなくて、あぁこりゃ、夜中までかかるコースだなって覚悟をしていました。
しかも抱えているもう一つのタスクで、同僚の先生から借りっぱなしにしていた漫画(しかもよりによって『魔人探偵脳噛ネウロ』)も翌日に返す予定だったので、それも読まなきゃ!と、タスクに追われていました。
朝までコースで、ちょっとウトウトしながら、漫画を読んで、ちょっと横になって、それからまたnewsletterの文章を書いて、また休憩しながらネウロを読んで、また疲れてきたから横になって。
そんなことを繰り返して、横になっていた時に、パソコン部屋の戸ががらっと開きました。
「来たかも」
その音でハッと目が覚めました。開いた戸の方へ視線を移すと、ゆかさんが血相を変えてこちらを見ていました。
ん?なんでそんな怖い顔してこっちを見てるんだ?あぁ、そうか。電気をつけっぱなしで寝てたのを怒っているのか。でもそこまで怖い顔をしなくても良いじゃんね。
はいはいわかりましたよ。今電気を消しますよ。はいはいはいはい。
「痛い。来たかも。」
・・・・・、ん?
・・・・・・・・
・・・・・・・・・んぁぁぁあああ!??
ガバッ!と起き上がりました。
え、ちょっと、いつから痛いの?あ、え?ちょっと前から?まじかよ。
まず、ゆかさんから義両親に連絡して、上の子を迎えにきてもらいました。いっちゃんは眠たい中、連れられていきました。
予定日が27日。一応それよりも前に、もし陣痛が始まった時に備えて、流れを2人で話し合っていました。
陣痛がきたら、速やかに夫に知らせる
義両親に連絡、いっちゃんを引き取ってもらう
病院に連絡し、速やかに準備を行う
入院グッズを車に積んで出発
この流れを予め決めておいたので、迷わず行動できました。 僕はというと、これに加えて自分の身支度や、newsletterの配信、借りていた漫画を車に積むという作業もありました。
でもやっぱり準備やイメトレは大事だなって思います。自分がやるべきことを迷わず進めて、気持ちがいくら焦っているとしても、まずはやらなきゃなと思っていることを淡々と進めることができました。
即入院
かかりつけの産婦人科に到着し、まずはゆかさんだけ中に入ってもらいました。僕は一旦車の中で待機です。
3月13日よりマスクの着用が個人の判断とはなりましたが、医療機関はその限りではありません。僕もゆかさんも、抗原検査を行わないと、病院に入れてもらえませんでした。
まずは、ゆかさんが抗原検査キットで陰性ということが分かり、同時に入院が決まりました。ただしこの時点では、陣痛が始まっているものの、まだ出産の傾向が見られないということで、僕だけ一旦帰宅することになりました。
助産師さんの話によると、1人目と比べて2人目は、陣痛から出産まで、1人目の半分の時間で済むケースが多いそうです。
いっちゃんのときは、陣痛が始まって病院に向かったにも関わらず、「まだ全然だから」と入院すらさせてもらえませんでした。当時と比べると、「おお、今回は即入院だぞ」と、2人目特有の出産の早さを思い知りました。
そうやって感傷に浸りたい気持ちを遮るように、病院の中に入ったゆかさんから「入院することになったけど、出産までまだかかりそうだから、車に積んだ入院グッズを看護師さんに託して」と連絡がありました。
看護師さんにどうやって渡すんだろうと思っていたところに、入り口から看護師さんがこちらを覗いていたので、荷物を託して一旦帰宅しました。これが5時半くらいの話。
で、一度自宅に戻ると6時を過ぎていました。ここでちょっと肩の力が抜けて、お腹が空いていることに気がつきました。
コーヒーでも淹れるか。それと、朝食も。そうか、いつもはゆかさんが作ってくれていたけど、これからは自分で用意するのか。
一旦コーヒーだけ先に入れて、少し飲んで、目玉焼きを焼いてトーストの上に乗せてと。はいラピュタパンの出来上がり。
さて、食べながら、ぼちぼち臨戦体制にしときましょかね。そう思って食べようとしたそのとき、ゆかさんからのLINE通話が鳴りました。
「うぅ・・・、もう、そろそろだから、今から来て・・・」
うおおおあああああああ。
ラピュタパンを半分に折って、車の中でも食べられるようにして、そのまま出勤できるように荷物をまとめました。同僚の先生に返す漫画と手土産も用意して。
このとき7時過ぎ。通勤ラッシュと重なり、道路はひどい混み具合でした。しかも自宅からかかりつけの産婦人科まで、混む道を通ることになるので、これがまたいつも以上に混んでいるように感じました。焦っているとそういうもんですよね。
7時40分ごろに現地に到着、そして出産に立ち会うために抗原検査を受けました。
コロナ前は出産時の立ち会いも、入院中の面会も全然OKだったんですが、コロナ禍の影響で制限がつきました。
かかりつけの産婦人科では、
出産の立ち会い→抗原検査で陰性だったらOK
入院時の面会→NG
2023年3月ではまだこんな感じ。
ただし、出産に立ち会えば、それから2時間は赤ちゃんとの交流の時間が設けられることになり、そのあと病室に入るという流れで行動できるようになります。
逆に言えば、出産から2時間後までに会わなければ、そこから退院するまで妻と産まれた子に会えないということです。
ビデオ通話が当たり前となった今の世の中でも、1週間会えないというのはちょっと辛い。
そんなことを天秤にかけながら、抗原検査を受けました。うぅぅ、我が子は目に入れても痛くないと言いますが、綿棒を鼻に入れるのはものすごく痛い。
この時点で8時。今すぐ出産しちゃってもそこから2時間は交流がある。勤務開始前に出勤するのは無理だ。そう思ったので、抗原検査の結果待ちのタイミングで学校に電話して、1日年休を取得する旨を伝えました。
分娩室へ
そんなこんなで抗原検査の結果、陰性だったことを病院からの電話で知らされて、分娩室に入ったのでした。このとき8時5分くらい。
そして8時21分、第二子の産声を聞きました。
あのね、8時5分から21分だから、ほぼ15分くらいだと思いますよね。実時間としてはそう。でも、分娩室にいたときの感覚は全然違うんですよ。聞いたこともないような声を上げてる妻の声。隣で見ているだけで、こっちも泣きそうになってくる。なんて声をかけて良いのか正直わからない。「頑張って」というありきたりな言葉でさえ他人行儀な感じがして、そんな声しかかけられない自分が嫌になりそうで。
とにかく汗を拭いて、手を握って、声かけて。そんな時間が、子どもが産まれてくるまで続く。いつ終わるかわからないっていうのが、僕も本当にしんどかったんですよ。
僕が立ち会った15分は、感覚としては何時間も続いたように思いました。助産師さんが記録のために時刻を口にしたのを聞いて、ん?まだそんな時間なの?この分娩室、精神と時の部屋だった?いやこの例えはおかしい。それだとゆかさんが4日間近く力み続けたことになる。
あれ?じゃあ精神と時の部屋で過ごすよりも、ブレインバーストして加速空間にいた方が修行になるのか。って違う違う。そんな話をしたいんじゃない。
とにかく、僕が関わった15分が、かなり長く感じたんですよ。2〜3時間くらいの感覚でした。数字だけ見たら、あぁ2人目だからあっという間だったね。なんですけど、あのゆかさんを見ていると、「あっという間」なんて言葉じゃ済まされないくらいの苦労がありました。
"2人目はすぐ産まれる"なんて言葉を鵜呑みにしてはダメだ。それは経過した時間から見た結果論。立ち会えばわかる。隣にいたら、全然あっという間に感じない。多分、ドラマとかでよくある廊下で待ってるやつ。あれでも感じる印象は違う。側にいないと得られない感覚がある。
側で見ている自分でも、想像がつかないほどの痛みと苦しみを妻が受けている。今思い出すだけでも、涙が出てきます。
ゆかさんからは「2人目なんだから、別に立ち会わなくてもいいよ。恥ずかしいし。」なんて言われていました。僕は最初から立ち会う前提でいたので、「え?立ち会うつもりでいるけど?」「え?立ち会うの?」なんていうやりとりもあったくらいでした。
出産の苦労は男は味わうことがないので、全てを理解することは不可能です。それでも、側にいるだけで、僕自身かなりの衝撃を受けました。苦労を共にした感覚があります。ゆかさん本人の苦労と比べたら、こんな衝撃でも全然足りないことも、言葉では理解してます。
そんな想像もつかないほどの苦労をしてきた保護者の方が、そりゃ我が子のためとなったら学校に色々物申したくなるのもわかるよ。
無事出産を終えて、産湯で洗ってもらったあと、助産師さんがゆかさんのところへ赤ちゃんを運んで、抱えるように受け取ります。その瞬間がもう、神秘的で。
自分の子を産んでくれてありがとう、苦労してくれてありがとうっていう気持ちが溢れかえるほどでした。語彙力がなくてすみません。あの光景を目にしたら、語彙力が皆無になりますよ。
それから少しの間、赤ちゃんを預かってもらい、白いおくるみに包まれた状態で来たときには、もう目が開いてキョロキョロしてました。
1人目の時にも説明を受けましたが、まだ産まれた直後というのは目が見えてない状態だそうです。でも、おぎゃあおぎゃあと泣くのはもうちょっと後から。出産直後に泣いてからは、しばらくの間は外界に慣れるためにおとなしくしている時間があるそうです。
なので、かかりつけの産婦人科では、出産直後のまだ赤ちゃんがおとなしい時間を、母子+立ち会った家族と過ごす時間に設定してくれていました。
これが2時間。8時21分から開始なので、10時過ぎまで一緒に過ごすことができました。赤ちゃんの手には血中酸素濃度のセンサーが取り付けられていて、ナースステーションから常時モニタリングされている状態でしたが、定期的に看護師さんが様子を見に来ていました。
その間に同僚の先生に報告、それと部活の生徒が登校する予定だったのでTeamsを通して生徒には予定中止の連絡をしました。
抱き抱えた赤ちゃんを見ながら、目はどっちに似てるかな、鼻は髪は口元は、なんて言いながら過ごした2時間。
一瞬だったよ。時間が溶けた。2時間が実質15分くらいだった。本当にあっという間だった。
看護師さんが「そろそろ病室に戻るお時間です〜」と言いながら入ってきたので、分娩室を後にして、出勤しました。
職場の先生方、事情を知ってる方は「なんで来たんですか」状態でしたけど、漫画返却のことは言えず、とりあえず年休の手続きのためだけに来たことにしました。
それとこの日は新入生と保護者が出校する日で、駐車場の誘導係に割り当てられていたんですが、担当箇所のチーフの先生に「今来ましたが、さっき子どもが産まれたのでこの後すぐ帰ります、すみません」とだけ報告しました。
「は!え!今日産まれた!?そりゃ帰らな!」 という反応でした。
ですよね普通そうなりますよね。
そんなこんなで、入院している間は、いっちゃんは義実家で面倒を見てもらいながら、僕は1人で暮らすことになりました。
無事退院
5日間過ぎるのも早いもので、あっという間に退院を迎えました。
ちなみにTwitterに投稿したこの写真は、入院先の産婦人科が退院前日に夫婦に振舞ってくれるディナーの、デザートです。
しかもこの日は医院長の先生がお休みの日だったからか、ディナーの会場に何故か置いてあったピアノで3曲くらい披露されてました。3年前のディナーの時にはそんな演奏なんてなかったんですけどね。日曜日の夜だからかな。
退院当日は、僕と、両親、義両親が揃って、ゆかさんを出迎えました。集合写真を撮って、少し話して解散。
その後は、義実家にゆかさんと赤ちゃんを連れていきました。お昼ご飯をお呼ばれしながら、抱っこして、オムツを替えて、僕はアパートに戻ることにしました。
新生児用のオムツがあんなにも大きく感じるなんてなぁ。それに、抱っこをした時なんて、目を見開いて、「お前、わかっとるやん、できるやん」みたいな視線を送ってくる。
3年前は座らない首をどうやって支えたらええんだってオドオドしてましたけど途中から、あ〜はいはい抱っこね、オムツねって感じに、徐々に感覚を取り戻しつつありました。
改めて思いますけど、妻の出産に立ち会うのは、選択じゃなくて必履修にした方が良いと思うんですよ。横で見ていても、その苦労を全てわかってあげられるわけじゃない。普段通りに仕事をしていて、報告を受けただけだったら、それこそもっと苦労が伝わらないと思うんですよね。
僕の中での1番の発見は、"2人目なんてすぐ産まれてくる"というよくあるセリフの、出産にかかる時間という尺度だけで判断する愚かさでした。
そりゃかかった時間だけで見たら早いのかもしれませんが、あんなにも痛い思いをして、頑張って、それを時間だけで判断することに、「全然わかってねーな」って思えるようになりました。
その苦労を思い出にできた本人が言うのなら別ですけどね。僕のような人間が言うセリフじゃないなと肝に銘じたのでした。
ちなみに僕のもう1種類の子どもと言えば、そう、DX本ですよ。学年主任の先生にも先日文章を読んでいただいて修正する箇所も頂戴しましたし、編集者さんによる原稿の本格的な整理も始まりました。このままのスケジュールでいけば、5月末の納品となりそうです。楽しみにしていてください。
今回のnewsletterは以上となります。 思えば、今回も子どもが生まれるタイミングで本が出ている、魚住惇です。「いいね」を押していただけるとうれしいです。
立ち会いできてよかったですね。
うちは長男しか立ち会えず、次男三男頑張ってもらってる間、ワンオペを頑張りました。
ここからが一気に早いので、楽しんでください!
おめでとうございます!
実は我が家も28日予定日で18日に第二子が産まれました。惇先生の子と同級生となり、勝手に喜んでます笑。
僕もほぼ惇先生と同じ流れで立ち会いまでを経験し(ラピュタパンは食べてないけど)、今日のニュースレターは他人事ではありませんでした。「立ち会い必修」は全く同感です。