高校生から始めるタスク管理2
生きることにこだわりを。魚住惇です。 今回もちょっとしたこだわりに、お付き合いください。
高校生から始めるタスク管理2
前回のnewsletterに書いた「高校生から始めるタスク管理」の2回目です。 今回は、始めて1週間ほど経過したので、実際どうなったのかを書こうと思います。
まず、事前に把握できていた課題については、進捗が見える化したおかげで、彼が今何に取り組んでいて、何の課題が完了した状態で、何が未着手なのかが分かるようになりました。
これまでは課題を与えたとしても、提出してくれたもの、つまり完了した分だけが把握できていただけでした。逆に言うと、未提出の課題については、未着手なのか、着手しているけど未完了なのか、未完了ならどれほど進められているのかという進捗が分からない状態でした。
タスク管理の何が良いかって、課題が未提出である生徒に対してできる声掛けが、「(出せてない)課題の提出はまだですか?」しかなかったのが、もっと細かく言えるようになったことなんです。
学校から帰宅して、どのタスクに対して取り組むことができたのか。それは、明日締め切りの課題なのか。他に優先すべきタスクはないのか。 生徒のタスク管理状況を見させてもらうことで、もっと深い部分について、細かくアドバイスできるようになったわけです。
割り込みタスクの処理の対処法
ただし、まだまだ課題は多くあります。 ここにきて、「割り込みタスク」に悩むようになってきました。 既にタスクが溜まってきていて、その全体のリストから今日やるべきことを決めて、デイリーのリストに移す作業を行う。これについては、彼はかなり慣れてきてくれました。 しかし、それ以外にも授業中に不意に出された、突発的な課題というのが出てくるのです。その授業の担当の先生にとっては予定していたことかもしれませんが、少なくとも彼にとっては突発的なタスクでした。 他にも課題が山ほどあって、それらも片付けなければならないというのに、新しいタスクが出てきてしまった。しかもその新しいタスクというのが、重要度と緊急性がそこそこ高い。まさに「割り込みタスク」というやつです。
しかもこの割り込みタスクというのは、自分がタスクとして認識する事柄よりも軽い流れで、予想していないタイミングで降りかかってきます。 ということは、いつでもどこでも、タスクが降ってくるという可能性を考えた上で、新しいタスクが入ってきたら必ず記録する。この考えを無意識にできるようでないと、割り込みタスクを拾えません。大事な話をしているのに、ぼーっとしているのと同じです。
なので今回、彼には「割り込みタスク」の対処法として、常にリストを持ち歩いて生活をするようにアドバイスしました。授業中でも、休み時間中でも、いつどんなタスクが自分に降りかかってくるかわかりません。書いた後に忘れるためにも、一旦は記録する必要がある以上、いつでも記録できる環境が必要です。 ついでに彼の学ランの胸ポケットにもペンを必ず挿しておくようにも伝えました。加えて手帳にも1本ペンを挿すことも。
学校で頻繁に起こる「あの時やれって言ったのに」→「忘れてました」という流れを解決するためには、やれと言われた瞬間に取り掛かって完了済にするか、あとで忘れずにやるしかありません。 この「あとで忘れずにやる」というのが、どうしても難しい。 でもそれは、記録を取らずに覚え続けておくことが難しいのであって、記録さえ残しておけば、見たら思い出せます。 彼は、それ以前に書くことそのものができていませんでした。
これらの失敗1つ1つが、僕にとっては良い材料でした。それぞれに振り返って、ヒントやアドバイスを投げかけることができます。 それもこれも、タスク管理をさせ始めたからです。
さて、僕の勤務校は明日23日が終業式です。明後日からは冬休みが始まります。 生徒らは部活動などの予定がなければ、学校には来なくなる期間が始まります。
先生、とっても不安です。ちゃんと家でもタスク管理、してくれるかしら。
「寄付とお金配り」と書いて、「フォロワー買いたい」と読みます
kifutownというアプリが、ここ最近のAppStoreの無料アプリランキングの1位となっています。 前澤友作さんがお金を配るために使った寄付を募ったりお金を配るためのアプリです。 これがまた、酷いんですよ。 前澤さん以外の人もお金を配ることができ、アプリを開くと、お金を配ってくれる人の一覧が表示されます。 1万円やら10万円やらと、なかなか高額です。そこに数千人から数万人の応募者がいるので、当選する確率もそれなりに低くなります。
問題は、これに応募するための条件に、その人のTwitterアカウントをフォローすることが設定できる点です。 いろんなアカウントを覗いてみると、2021年12月に作成されたアカウントであるはずなのに、万単位のフォロワーがいるアカウントがごろごろいます。
はっはっはー、ハハッ。 すごい世界があるもんだなぁ。
前回のnewsletterで紹介した、「フォロワーとRTを買いませんか?」どころの規模じゃありません。 お金を配るって、これだけの効果があるんですね。
配る側の人がコメントで、他意はありませんとか、善意ですとか書いてますけど、本当にそうなら、個人情報を収集したり、フォローを求めたりはしませんよね。
また変な世界を見た気がしました。
このアプリなら、お金を払って中華アカウントや変なアカウントから大量にフォローされるよりも、まともなアカウントからフォローされることがあるかもしれませんね。
今回この惨状を目にして、「お金とは何か」ということを考えさせられました。
ここでお金を払うということは、自分のTwitterアカウントのフォロワー増に対して、お金を払うほどの価値を感じているということです。だからお金を払ってでもフォロワーが欲しい。 そこで得たフォロワー数が多いアカウントを、どうされるのでしょうか。
インフルエンサーと名乗り、案件を受けたいのでしょうか。 そう考えると今後は企業の方も、誰に案件をお願いするかを考えるときに、フォロワーの数だけを基準にはできなくなりますよね。
僕にとって、お金というのは、価値のあるものと交換するための手段です。確かにお金があれば欲しいものが買えますが、お金そのものが欲しいわけではありません。
フォロワーを買う。うーむ。僕だったらフォロワーの数字を増やすためにお金を使うなら、HDD代に回して録画したファイルをバックアップしたり、キーボード代や書籍代に回したいところです。
今回のnewsletterは以上となります。 「いいね」を押していただけるとうれしいです。有意義なお金の使い道がありましたら、「#こだわりらいふ」をつけたツイートや、Substack内のコメントまでお願いします。