生きることにこだわりを。魚住惇です。 今回もちょっとしたこだわりに、お付き合いください。
それを語れるようになるために必要なこと
11月5日土曜日に、五藤隆介さんが配信しているnewsletter「ナレッジスタック」の飲み会に参加しました。 飲み会のテーマは、「みんなが知らなさそうなおもしろいものを紹介する会議」でした。 このテーマに沿って、順番に自分が面白いと思っているものについて話していくという内容です。
この会に参加しようと思ってから、実際に参加するまで、結構緊張していました。時間にも追われていました。
今回は、魚住がどうしてそんな状況に置かれた気でいたのかを考えながら、「語るために必要なこと」について話していこうと思います。
「話す」と「語る」の違い
まず、2つの例文を出してみました。
魚住惇がHHKBについて話す
魚住惇がHHKBについて語る
「話す」を「語る」に言い換えてみると、随分と印象が変わると思います。「語る」の方が「話す」よりも深い話をするようなイメージがあります。まるで「語る」=「オタクが話す」みたいな感じです。
goo辞書で検索してみると、 「話す」は
言葉で相手に伝える。告げる。語る。
相談する。話し合う。
外国語を使う。
交際する。つきあう。
遊女を買う。
と説明しています。 話す/咄す(はなす)の意味 - goo国語辞書
これに対して「語る」は、
話す。特に、まとまった内容を順序だてて話して聞かせる。
語り物を節をつけて朗読する。
ある事実がある意味・真実・事情などをおのずから示す。物語る。
親しくまじわる。
と説明しています。 語る(かたる)の意味 - goo国語辞書
節をつけるというのは、節目を敢えてつけることなので、話のポイントにしたい部分を強めていうように工夫するという意味です。プレゼンの手法でいう、身振り手振りをつけるとか、抑揚をつけるというやつですね。それをやるということは、話す内容が最初から最後までを頭の中で把握していて、一番盛り上がりたい部分を決めているということだと思います。。
この2つの単語の意味を比べていて思ったのが、自分の場合は、「話す」よりも「語る」の方が好きだなということでした。 これは自分が語るのもそうですが、自分以外の人が語っているのを見たり聞いたりするのも好きなんです。自分がその分野について全然詳しくなくても、それについて語っている人は内容を順序だてて話してくれるので、聞いていて頭の中にスーッと入ってきます。
逆に僕は話すのが苦手です。自分が語るモードに入っていても相手が話すモードだと、僕が語っている途中に割り込んできて他の話にしようとするので、消化不良な感じがします。それに、話すモードの人にとって、語るモードの人が喋った内容は一度に頭の中に入れてもらえず、「話が長い」というマイナスのイメージまでつけられてしまいます。
なので僕は人と接する時は、その人が「話す」人なのか「語る」人なのかを見極めてから、語れる場合に語るようになりました。妻のゆかさんは「話す」人なので、僕がどうしても語りたい時には「語ってもいい?」と最初に質問します。稀に却下されます。なんでじゃい。
「語る」は教師に必要な資質(だと思う)
一方で僕は教師として働いていて、人前で語ることが日常になりました。先生方に対して語ることもありますし、生徒たちに対して語ることもあります。特に授業を行うとなれば、その内容の専門家でなければなりません。
ところが、学校の先生って、ただ採用された時点では、そこまで対して専門家ではありません。
教員というのは、大学時代に教員免許状を取得するために必要な単位を履修&修得して、教員採用試験に合格しただけの人間です。
しかも新社会人の年だと、人生経験もそこまで生徒と差がないので、そこまで「先」に「生」きてる者とも言えません。
3月まで大学生だった人が4月から教員として、いきなり50分の授業を行うのです。もちろん多くの方が自分が学生時代に受けてきた授業の内容や空気感を参考にして、授業を行うわけですが、内容の詳しいところは自分で工夫しなければなりません。
そこから教師として働く上で、「教材研究」に時間を使う生活が始まります。教材研究とは教科書を読み込んだり、内容に沿ったプリントを作成する作業のことです。大抵の学校では授業の時間が50分近くに設定されているので、教科書の内容を解説したり、プリントの問題を解かせたり、解説することを踏まえて、50分の時間を過ごせる分の教材研究を、その時間までに用意する必要があります。
理想は、その授業を実施するまでに、その授業で進める単元の専門家になって、最低限語れるようになることです。子どもたちからどんな質問が来たとしても答えられるようになっておくとより信頼されるようになります。
50分の授業の中で、50分丸っと語るわけではありませんが、せめて30分くらい話せるようになっておかないと、応用がきかなくなってきます。
僕の場合、情報Ⅰは2単位なので1週間に2コマ、幸いにもそれを6クラスに展開しているので、一度教材研究で作った教材などは、6回使えますし、1週間で2回分の授業を用意すれば、なんとかその週を過ごすことができるようになります。
その授業でその単元について語るために、先に予習しておいて、当日には専門家を演じるわけです。
専門家というのは、歴が長ければ長いほど深みが増してきます。授業も経験を積んでいくことで、生徒がどこで理解に時間がかかるのかも感覚でわかってきます。教える内容も、同じ分野を何年も続けていると、話すことにも慣れて、新しく教材研究をせずとも、それなりに話せるようになっていきます。若手とベテランとの違いはここにあります。
他にも応用できる嬉しい副産物
そんなわけで、授業の経験を積んでいくうちに「語る」ためには何を用意したらいいのか。どう話を組み立てたら「語る」と言えるほど話せる分量になるのか。伝える内容を理解してもらうためには、どういう順番で語る必要があるのか。こうしたことが、「大体こんな感じのものが必要かな」と頭の中で考えられるほど、感覚というのものが発達してきました。
これの何が良いかと言うと、自分が何かについて語ろうとした時に、まず現段階で語ることができるほどの知識量に達しているかどうかがわかるようになりました。
「この知識については、まだ語れるレベルじゃないな。」と思うようになったり、「この分野は逆に詳しくなりすぎて、すべてを語ってしまったら初めての人はついてこれないな」とも考えられるようになったのです。
じゃあ知識が足りないとすれば、何から調べたらいいのか、あとどれほど自分が話せるようになったら「語る」のレベルに達するのか。結局は今の自分が許せるかどうかが到達度の見極めにはなってしまうものの、教材研究をしていくうちに、なんとなくそのボーダーラインがわかってきたのです。
一番のきっかけは、必要性
自分がそれについて語ることができるようになるきっかけの中で、一番効果が高いなと感じているのは、「今度自分がそれについて語らなければならない状態になる」という要素でした。
授業では、この日のこの時間に、これについて授業を行うというのが既に決まっています。仕事としてどうしても、その時までに語れるようになっておかなければならない状況を用意することで、半ば強制的に準備をするしかない状況を作っているわけです。
ダイエットの目標などを他の人に宣言することに似ていますね。自分とだけの約束にするのではなくて、他の人との約束にすることで、逃げられないようにするのです。
今回で言うと、ナレッジスタック飲み会で語る必要が出たということが、他の人との約束にあたります。語りたい人が語れば良いというイベントでしたが、できればこれを自分が語る機会にしたいと思ったのです。で、そう思ってしまったら語るしかないので、語るための材料を集めたり、話す内容の順番を組み立てたりする必要性が高まりました。
必要性を認識し出すと、人って頑張れるんですよね。
当日は準備をした甲斐があってか、割と自分が用意した内容について語れたんじゃないかと思います。
ここにObsidianが加わるとどうなるか
ごりゅごさんの『アトミック・シンキング』を読んでから、もっと言うとセミナーに参加してから、Obsidianの使い方そのものを見直しています。
これまでは完全なデイリーノート保管庫でしたが、いわゆるアトミックなノートを作ることを最近になって始めました。いわゆるナレッジのスタックです。
飲み会で話す内容は、Obsidianにまとめつつ、話す順番を組み立てることで、なんとか語り切りました。特に「わかりにくい」とか「いまいち熱量が伝わらなかった」みたいな話にはなっていなかった気がするので、なんとか語れたんだろうと思います。
なんかちょっと最近、僕が語る場がそこそこ増えてきたので、改めて自分が何かを語る際に、どういったことが必要なのかを今回書いてみました。正直、もっとリストアップできるかもと思っていましたが、そのほとんどが教員としての経験によるもので、それをObsidianが補佐してくれてる感じっていうことに、書いていて気がつきました。
結局は、場数と経験と、それに身を投じていることが大事なんだっていうことですね。
とはいえ、Obsidianなどのデジタルノートツールは、これまでのツールと比べ物にならないくらい脳の補佐をしてくれています。ここまで文章が書けるのも、Obsidianを使っているからだと実感してます。
そしてやっぱり僕は教員なので、「僕が今身につけているノウハウを、どうやったら子どもたちに身につけさせることができるのか」って考えちゃうんですよ。デジタルノートの使い方、特にObsidianなどの新しい考え方は、今の子どもたちに使わせた方が斬新な使い方をすると思うんです。
ああ、早くObsidianの使い方について教えたい。子どもたちに語りたい。ここでのポイントを一言で言うと、これだと思うんですよ。
「何かを語ることになった時に、Obsidianをどうやって使っているのか。」
この話についての詳細を、実は別のところで語る予定があったりします。ぜひ楽しみにしていてください。
Obsidianでプロジェクトを管理する
プロジェクト管理なんて必要ない。毎日、その時に思いついたり、締め切りが近づいたプロジェクトを進めていたら、勝手にタスクが完了していて、プロジェクトも完遂しているものだ。
ついこの前まで、僕はこう思っていました。
この甘ったれた考えがね、ついに崩れる時た来たんですよ。
ここ最近、僕のツイートが少ないことに、お気づきでしょうか。最低限、楽しく生活している感じを演出しようとはしているんですよ。ですが、ここ2週間の間、時間が足りないって思いながら仕事をしています。
勤務校での仕事が、かなり激務になりました。授業以外の空きコマと、部活の時間帯には、常に何かの仕事か作業をしていて、さらにそこに割り込みタスクが容赦無く降り注いできます。先週から学校を出るのが連日19時を過ぎるようになりました。
何も抱えていない時は、部活を終えてから割と早めに帰るので、18時〜18時半には学校を出て、19時には自宅に着いているのが割といつもの流れでした。ここ最近はそんな早い時間には帰ることができていません。
しかも、帰宅する19時まで、心に余裕がないほとまでに、時間に追われながら必死に何かの作業をしているわけです。教材研究する余裕が一切ありません。
そんな僕にとって一番厄介なのが、他の先生方と話していて、口頭で話していながら重要事項が決まっていくことでした。僕の中ではとっくに脳のワーキングメモリはオーバーフローを起こしていて、話をしながら新しいことが決まっていくと、どこにも記録が残らないので、忘れてしまったが最後、何かを話したけど内容を覚えていないという最悪の事態に陥ります。
特にここ2週間の間は、学校の運営に関わる重要事項が決まる瞬間に立ち会うことが増えたので、仕事を進める上でそれらの内容を覚えておかなければならなくなりました。
でも全てを覚えておくなんて、僕には無理な話です。ただでさえ忘れっぽくて、どのクラスでどこまで授業を進めたのかも、覚えていられないくらいです。情報を頭の中にだけ入れておいたら、確実に忘れる自信が僕にはあります。
そこで始めたのが、プロジェクトを管理することでした。具体的に言うと、Obsidianに今関わっているプロジェクトのノートを作って、プロジェクトの進捗状況をデイリーノートではなく最初からそっちに追記していくことにしました。
これまではデイリーノートに思いついたことを書いて、その内容が膨らみそうなら別のノートに分けていくっていう感じに生活をしていました。
でもこれだと、そのプロジェクトが今全体のどのあたりまで来ていて、そのタイミングで何が起こったのかを把握し、次に何が必要なのかまで把握が出来ませんでした。
今この瞬間に、必要かもと思ったことだけをやる。これまではそれだけで本当に回っていたんです。ちょっと最近になって、これではかなり厳しい状態になりました。
学校の中を常に移動しながら作業もしているので、日中の心拍数は90を超えることが割と普通になってきました。養護教諭の先生にも少し心配されました。
これではダメだと思い、せめて学校での仕事をなんとかして回すために、Obsidianに抱えているプロジェクトについてのノートを作っていくことにしました。
これまでそうしなかった理由は、「別にそこまでしなくても大丈夫でしょ」と思っていたのももちろんありますが、一番の理由は、タスク管理をデイリー以外で行うことによる「メモ&タスクの死蔵」が起こってしまうんじゃないかという懸念もあったからです。
プロジェクトのノートを作って、そこにそのプロジェクトを進める上で完了しなければならないタスクを羅列したところで、実行しなければ意味がありません。
でもこのままでは、自分が関わっている多くのプロジェクトが破綻してしまう。そう考えたので、プロジェクトのリストをまとめてみることにしました。抱えているプロジェクトの内容を書いたノートがそれぞれ存在していて、そのプロジェクトへのリンクを、プロジェクトリストというノートに貼りました。プロジェクトリストのノートとデイリーノートを常に表示しておけば、プロジェクトの進行に致命的な遅れは生じないだろうと考えたのです。
これでも学校を最優先にしているので、スケジュールを犠牲にしているプロジェクトもあるんですけどね、ここ数日は綱渡りの生活が続いています。それでも、Obsidianに全部書いているおかげで、そしてそれを常に表示できる領域をもつ12.9インチのiPad Proのおかげで、なんとか学校での仕事が回っています。
来週末には、少し余裕が生まれるのかも。そんな希望を抱きながら、今週もあと半分、過ごそうと思います。
今回のnewsletterは以上となります。 「いいね」を押していただけるとうれしいです。内容に関するご意見ご感想がありましたら、「#こだわりらいふ」をつけたツイートや、Substack内のコメントまでお願いします。
自分も以前、obsidianを使って、業務をまとめていました。
ハードの問題にもなるのかもしれませんが、性格上もあり、その場にある端末でデータをまとめるので、Scrapboxは助かっています。
先生の教育現場でのobsidianの活用はたいへん勉強になります、今後も配信楽しみにしています。
いつも誰よりもスマートに仕事してる感じの裏側…!!
お疲れ様です。組織ならではの苦労も。