生きることにこだわりを。魚住惇です。 今回もちょっとしたこだわりに、お付き合いください。
車、オーディオ、カメラ。僕の友人曰く、男の三大趣味だそうです。金がかかるという意味で。
車は中古の軽自動車なら数十万円からあります。高級車なら数千万円でしょうか。
オーディオも、ゴールは1つ数百万円のスピーカーがあります。イヤホンなら20万円がゴールでしょうか。
カメラはフラグシップ機で100万円、レンズと組み合わせて青天井です。
どれも1人で楽しむことができ、また周囲の方が喜んでくれることもあります。車は人やものを運ぶ道具として、オーディオはみんなで音楽を楽しませてくれるものとして、カメラは大切な瞬間を収めてくれるものとして。
自分がそれぞれの分野に興味を持ち、経済状況と自身の能力を基準に考えてどこをゴールとするのか。妻子に恵まれたところで独身時代とは違った生活を送るようになり、それぞれのゴールについて考えるようになりました。
そこで再認識したのが、自分のお金の使い方でした。これまでは、例えこだわる対象であっても「安さ」を理由に購入していた節があります。良い表現をするならいかに少ない出費で済ませるかにもこだわっていました。
ただし「安物買いの銭失い」ともよく言われるように、自分がこだわるものを更に安く買おうとすると、その弊害にも頭を抱える結果になった。そんな経験も少なくありません。
話をカメラに戻すと、今使っているカメラも価格を優先して、自分としては不満を抱えたまま購入してしまった1台です。本体が20万円、レンズが10万円。本体もあと10万円余分に出せば良かったものを、ひよりました。
今週の日曜日でのこと、家族4人で桜の写真を撮りに行きました。
右上から左下に向かって線を引いた状態で、被写体を右下に配置しました。解放で撮ったのでピントが合っていない部分はボケています。写真全体に広がる桜のボケに、特に際立つくっきりとした桜。iPhoneではこんな写真はまだまだ撮れません。僕はね、この写真に全然満足していないんですよ。どことなく解像感がありません。
もしこれがスマホの画面レベルで見るインスタの写真だったら、ただ映える写真が撮れたねで済んだかもしれませんが、iPad Proの画面や自宅の4K解像度のディスプレイで見ると、どうしても不満が出てくるものです。
原因ははっきりしています。撮影しながら試行錯誤できなかったんですよ。晴天で日差しが強い中、ファインダーを使いませんでした。いや、使えませんでした。こうした日の明るい時間帯は、はカメラのディスプレイなんてまともに見えません。
そんな時のファインダーというわけですが、僕が持っているカメラのファインダーは他の機種と比べて小さく、しかもカメラ本体裏面で言うと左上に配置されています。レンズの上じゃないんですよね。ミラーレスの利点といえばそれまでですが、どうしても自分がそのファインダーを覗いても、小さすぎてその周りから光が差し込んできます。
動画の性能は申し分ないし、家族の思い出もちゃんと残せている。だとしても、自分が思い描いた写真を撮るのに、いくらか制約を受けてしまう。そんなカメラの欠点のことばかりを考えた1日でした。
使えば使うほど、潮時を感じました。自分はもう、このカメラでは満足しなくなったのだと。それからは機種選びに入ったわけですが、いかんせん自分が欲しいなと思うカメラの価格が高い。そう、僕はものを買うことを考える時に、価格に比重を置いてしまうんですよ。悪い癖です。
その反対の良い例として言えるのが、iPadです。僕はiPadを買うならPro、そして12.9インチと心に決めています。無印?Air?のんのん。Pro一択。そして大きいは正義。価格?高くても買うんですよ。
過去の記憶と照らし合わせてみると、この思考回路でiPad Proを購入して、性能面や使い心地に不満を覚えてことが一切ありません。新型が登場するごとに買い替えて、常に最新を使い続ける。その甲斐があってか、今日まで快適にiPadライフを送ることができています。
普通に考えて、iPad Proの価格はめちゃくちゃ高いんですよ。1台買う予算で無印iPad3枚は買えます。MacBookだって買えちゃいます。それでもiPadを、しかもProを買う。これはもう贅沢の域です。でも、だからこそ僕のこだわりを全面的に受け止めて、今もこうして快適な生活を送ることができています。
もう、答えは出ちゃってますね。カメラを買います。高くても買います。自分が納得できるものを、探したいと思います。多分買うならα7RVです。それと、気になっているレンズが4月19日に発売するので、それも要チェックです。
葬送のウルトラマン
先週の金曜日頃から、葬送のフリーレンというアニメを見始めました。
おいおい今更かよって思いますよね。やっと時間ができたんですよ。何度も何度もNetflixが勧めてくるし、Xでもちょくちょくフリーレンがトレンド入りしていたのも知っていました。それでもなんだか王道な感じがして、あまり流行りに乗っからないようにしていました。
でも少しだけ、ほんの少しだけと思って、第1話を見てみました。あらすじはネットで少し読んだことがあるので、長寿命のエルフの物語であることは事前に把握していましたが、確かにまぁ、これは続きが気になる。
一気に見て、アウラを倒したところまで見ました。
そこで、フリーレンが抱いている「寿命の差による時間の感覚のズレ」に近い感覚のものがあるなと思ったんですよ。
ウルトラマンは2万歳
知ってました?ウルトラマンは2万年生きてるんですよこれがどんなことになるのかなんて、フリーレンをご覧になっている方には大体想像できますよね。
時間の感覚がどれほど違うのかは分かりませんが、もしウルトラマンの年齢から推測する時間の感覚を人間に当てはめたら、ウルトラマンにとって人間の寿命は1週間くらいだと思います。
昭和ウルトラマンの放送は4クール分である1年間、令和ウルトラマンは2クール分の半年です。物語に登場するウルトラマンにとって、ますます一瞬の出来事だと感じるかもしれませんね。
そんな中、ウルトラマン生誕40周年を記念して登場したウルトラマンメビウスは、人間の寿命の短さを嘆き、別れを惜しんだ1人です。他の多くのウルトラマンは身バレすることなく地球の平和を守っていきますが、メビウスは仲間に自分がウルトラマンであることを伝えた上で、チームワークを築いてきました。
かけがえのない仲間との絆が強い分、人との命の長さの違いに悩んだのです。
教師にも似た感覚がある
フリーレンを見ていて、ひょっとしたら自分も似たような感覚があるんじゃないかと思いました。
先日、前任校で担任したクラスのクラス会に呼んでもらえた時、みんな当時の面影がありながらも大人びた姿をしていました。僕自身も同じくらい時間を過ごしたはずなんですが、「先生は変わらないね」と言われました。
6年ぶりに再開して、変わらないねと言われるのは嬉しい反面、みんなからしてみたら僕自身の年齢が高校時代からそんなに変化してないんじゃないかと思ったわけです。
毎年入学してくる新入生に同じことを教えて、同じように部活動で接して。これだけ同じことを繰り返していると、クリアに3年かかるゲームをずっと繰り返しているような感覚です。前回までの経験値を引き継いだ状態で、常に新しくゲームを始めている感じ。
そう考えると、ますます自分という存在がずっと学校から出ずに、世間からは切り離された時間の感覚で過ごしているのではないかとも思えてきます。
みんな3年で卒業し、自分たちはみんなの思い出になっていく。毎年この時期は、少し寂しさを感じます。
今回のnewsletterは以上となります。あ、そうそう、この文章を書いているうちに、フリーレンは第二次試験のダンジョン攻略をし始めるところまで見ました。止まりません。「いいね」を押していただけるとうれしいです。内容に関するご意見ご感想がありましたら、「#こだわりらいふ」をつけたツイートや、Substack内のコメントまでお願いします。