生きることにこだわりを。魚住惇です。 今回もちょっとしたこだわりに、お付き合いください。
例の学級担任ガイドブックを読んでみる
勤務校では3月17日金曜日に終業式を迎え、そのクラスでの最後の時間を過ごしました。
最後って言っても、離任式の日に書類の差し替えを行うために、もう一度集まるんですけどね。お話をする時間としては最後という意味です。
毎年この時期になると、心の中では開放感があって、「あ〜今年度も終わった終わった!」という気になっていました。コロナ禍以前では終業式の日の夜に各学年が飲み会を計画されていたりと、1年の最後を労う機会も必ずありました。
3月13日からマスクの着用が個人の判断となってから日が浅いので、終業式に飲み会を行うのはちょっとまだ早いよなぁ。僕はまだまだ考え方がコロナ禍に囚われているのか、そんな感覚でいます。
で、開放感の話に戻しますが、今年度は毎年のように感じていた開放感を、全然感じていません。その代わりに感じているのは、”焦り”です。
来年度はどうなるんだとか、入学してくる生徒の質はどうだとか、授業はどうしようかとか。
こんなことばっかり考えています。
それこそ、この文章を書いているのは3月19日日曜日の早朝です。終業式を一昨日終えたというのに、僕はとても焦っているんです。
そんな中でも、今この瞬間newsletterを書いている時が、その焦りからちょっとだけ解放された気分になっています。普段はnewsletter用の文章を書かなければと焦っているんですけどね。
でもね、こうして退勤した後のプライベートな時間にも焦っていると、やっぱり学校の先生という職業は単純な労働とは違って、勤務時間だけじゃ割り切れないなって思うんですよ。
公立学校教員の残業代が認められなかった裁判
公立学校教員への残業代認めず 最高裁が上告棄却 教員側の敗訴確定 | 毎日新聞
この裁判のニュースそのものは3月10日付なので、そんなにホットな話題ではありません。しかし僕としても別の意味で人ごとではないなと思ったので、これも交えて話をします。
Twitterで話題になっている画像を拝借してきました。 これが裁判で、学校の先生が日常的にやっている業務の中で、労働時間だと認めたものと、認めなかったものです。
労働時間と認めないということは、画像にもありますが、教員の自発的行為として扱われます。つまり、労働時間には認められないけど、やった方が良いよねと自らサービス残業したっていうことです。
画像では、×印が付けられた、労働時間と認められなかった項目の中に、色が変わっているものがあります。
認められなかった項目の中でも、特に日常的に行なっている作業だという意味です。
この裁判、一審も二審も報じられた時に話題になっていたので、この画像も個人的には見飽きた感じがしますが、Twitterでの先生方の反応は、予想通りというか平常運転でした。
最高裁が上告を棄却したことで、「この作業も労働として認めてくれないのか!」と怒りを露わにされている先生方の悲痛な叫びがTwitterのトレンドとなったのです。
つぶやきをいくつか見てみると、この表を職員室に貼るべきだの、各項目について全職員に周知すべきだの、学校側に対応を求める声が目立ちました。
どうもこの上告に対する棄却を、ネガティブなイメージとしてとらえる先生方が、Twitterには多くいらっしゃる印象でした。
そもそも教員垢を名乗っているアカウントに多くあるのが、ニュース記事に対して厳しい意見を添えて、引用リツイートするという行動。
学校の先生に限ったことではありませんが、ニュースに対してネガティブなツッコミを入れることが、Yahoo!ニュースのコメント欄でも日常となっています。
そりゃまぁ、書き込むことで心がスッキリする人はそれで気が晴れたかもしれませんが、その内容を書き込むことで、そのニュースで話題にしていた内容が解決したのかってところが気になるわけです。
そこで文句を言っている場合ではなくて、何かしら行動を始める方が、少なくとも今のままではなくなるだろうと思うんです。 そのことについて、本気で変えたいと思っているのなら尚更です。
少し視点が変わりますが、”気になるニュースにネガティブなコメントばかりを添えて引用リツイートする魚住惇”の姿なんて、誰も見たくないと思うんですよね。
例えば検討ばかりしている総理大臣に文句ばっかり言っている魚住惇って、誰も見たくないんじゃないかって肌感覚で感じるんですよ。
なら、どんな魚住惇を見せたら良いのかっていう話になってくると思うんですが、まだ自分の中では明確な答えが出ていません。答えを探しながら走っている感じです。
少なくとも、文句ばかりを言うよりかは、目の前の問題を解決するために、自分ができることを行動に移す方が建設できだと思うのです。
そう思って、教科指導や学校DXで、自分が行動できることはなんだってやってきたつもりです。
で、さっきの裁判の話に戻りますが、僕はあの内容については、概ね納得しています。学校長や管理職の先生が職員に対して職務として命令できるものと、先生方が自主的に行うものとで分けるなら、うまく線引きしてあるなぁと思うのです。
例えば課題の点検。生徒が提出した問題集の冊子やプリントなどをチェックし、ハンコを押して名表にチェックする作業。
正直に言うと、僕だってあんな作業やりたくありません。でもそれを、デジタルで作業したり、GIGAスクール系のサービスを使うことで、生徒が提出締め切りを守ったのか、内容がどうだったのかを自動で採点したり、評価を行うことが可能となりました。
だいぶ長くなったので、同じ表をもう一度貼りますね。表のバッテンがついてる部分というのは、そうやって削減しようと思えば、いくらでも削減できるんじゃないかと僕は考えます。
そりゃ学校として、×印のことをやることだと決まっていることが多いんでしょうけど、これを気に続けるかどうかを議論しても良いとも思うのです。
少なくとも、「やらなくても良いけど、これまでずっとやってきたんだから、今後もやった方が良いんじゃないかな」と思えるようなことは、よく思考を停止して「例年通り」と唱えて継続することにする傾向があります。
時代がいくら変化しても、実態が全然変わらない世界では、変わらないことが正義でした。職人の世界ですね。しかしGIGAスクール構想でICTが入ってきたことで、学校の内部もかなり変わろうとしています。
これまでずっと変わらなかった。そんな期間が長かったと思うんですよ。それが一気に変わろうとしている。まるでクレジットカードが普及しなかった中国が、スマホの普及とともにQRコード決済型の電子マネーが一気に普及したような、あんな感じに数段階飛び越えた進化が、学校で起ころうとしています。
今回のこのニュースが報じられたことで、僕が残念だなと思うのは、出てきたコメントの多くが、労働時間と認められなかった項目に対する不満だけに終わっていたことでした。
そりゃ、原告の先生にとっては、これらの作業が労働時間として認められなかったことがショックだったとは思います。ただし逆の視点から見ると、削減や改善の余地があるという部分です。
この結果を、ただ”主張の一部が認められなかった”というだけの視点で見てしまっては、本当にもったいない。これらの作業を如何に工夫するかを考えるところが、また楽しいのにな。
僕のこの想いも、ニュースに対するコメントに入るんでしょうか。Twitterの引用RTではここまでの文字数が入らないので、誤解を避けるためにもこうして文章で表現してみました。
学校の先生の考え方の根本にあるもの
これの配信は3月22日早朝の予定。ここからの部分を書いているのは当日4時ごろです。
2日前の3月20日に、こんなニュースが配信されていることに気がつきました。
「忙しいはありがたい」? 新採用教員にブラック職場「肯定」冊子 千葉県総合教育センター:東京新聞 TOKYO Web
総合教育センターというのは、教育委員会管轄の教員研修を担当する職員が働く場所のことです。僕も研修の際には愛知県総合教育センターに何度も足を運びました。
話題になったのは、千葉県総合教育センターが配布している教員用研修冊子の中の「学級づくりガイドブック」のP.26です。
さて、どれどれ、冒頭部分から読み進めてみましょうかしら。
あ、あぁ・・・、あかん、もう最初の2行でお腹いっぱい。僕はこういう、業務マニュアルであるはずなのに、一番最初に心に訴えかけようとする文章を配置している様子を見ると、ブラックな感じに受け取ってしまうんですよ。
何をいきなり言い始めてるんだこのガイドブックは。
ゲップが出そうなのを抑えつつ、東京新聞の記事で話題になっているページを開いてみると、
問題のページはここですね。この「忙しい」は「ありがたい」の部分、もうDXでの業務改善を考えると、これだけ
ん?ゆかさんどうしたの?
陣痛?え?今?
今回のnewsletterは以上となります。 「いいね」を押していただけるとうれしいです。内容に関するご意見ご感想がありましたら、「#こだわりらいふ」をつけたツイートや、Substack内のコメントまでお願いします。
「削減や改善の余地がある」という言葉がささりました!その通りだと思います!
すごい気になる終わり方…
ゆかさん!!頑張って!!