生きることにこだわりを。魚住惇です。 今回もちょっとしたこだわりに、お付き合いください。
共通テスト強制受験問題
これは大学入試センター試験の頃からあった話だと思います。一言で言うと、「総合型入試や推薦入試で合格しても、大学入学共通テストの受験に向けて勉強させる」という高校の方針についての話です。
このことについて、高校生がどんな感じにモヤモヤしているのか。それはYahoo知恵袋を見ていただくのがわかりやすいです。
共通テストは強制までして受けさせるべきなのでしょうか? 私の高校では推薦で合格した生徒は大学の授業についていくことができないから共通テストを受けさせて少しでも苦労しないように対策をさせるという目的で強制されます。前の文でも書いたように「推薦合格者は大学の授業で苦労する」と何回も言われました。とても気分が悪かったです。新型コロナの影響で合格が決まっている人は中心部に行くのが怖いから共通テストは受けないという人や、親が医療従事者で受けに行くことができない人、家庭が苦しくて給与型奨学金の審査が通ったにも関わらず共通テストを強制され自分のアルバイト代から出した人もいます。先生たちは家庭の事情なんてお構い無しです。おかしいと思います。実際に私は大学か専門学校で悩んでいる時に先生たちから、大学も視野に入れている以上受けることは決まっているなどと言われました。私の学校は県内でも偏差値は低い方で、模試などを受けてもみんなD.E判定がやっとです。共通テストでも結果が見えているのになぜ先生たちは強要するのでしょうか?
共通テストは強制までして受けさせるべきなのでしょうか? - 私の高校では推薦で... - Yahoo!知恵袋
とても高校生の考えとしては真っ直ぐで、共通テストの受験に対して納得がいっていない様子が伺えます。ツッコミどころはたくさんありますけどね。
僕がこれまで勤務してきた学校では、学力レベルにもよりますが、就職希望者が多い学校以外は割とこの方針です。大学進学を目指すのなら、共通テストを受験することを目標の通過点として捉えます。
これに無意味だとか、合格したのにお金の無駄だとか、何かしらの理由をつけて反発している高校生がいるということです。
当然僕が勤務している学校でも起こりうるものなので、今回はここで話題にしたいと思います。
結論:申込時期に進路が確定していないから
先ほど紹介した知恵袋の質問に対する回答ではありませんが、似たような質問に対して、良い回答がありましたので引用します。
既に共テは出願してますよね?(確か9月末ぐらい?) その頃、推薦入試は合格してましたか? 学校は万が一を想定して、少しでも受験できる大学を増やす意図で共テを受けるよう指導しているのです。(推薦が落ちた場合、他の大学の試験対策が間に合わない。) もう受験料を払ってあるので、受けないとそれこそお金のムダになっちゃいますよ。 普通に一般入試で受けた人でも、大学の講義はついていくのは大変です。(予習復習しないと進度が速い為、どんどん講義が分からなくなります。) 大学によっては入試点数や入学前テストでクラス編成を行なっているところが結構、あります。(英語はレベル別で受講クラスが決まります) あとクラスの雰囲気を壊さない為でもあります。 あなたは推薦で合格が決まって遊びたいかもしれませんが、他の一般入試の方は今が正念場です。 せめて共テまでは一般入試組を応援する気持ちで周りの団体受験モードに染まっていて下さい。
大学入学共通テストって強制的に受けるものなのですか? - 私は既に推... - Yahoo!知恵袋
面白いのはね、これに似たような回答が他にもあったんですけど、ベストアンサーが付いてなかったことなんですよ。僕の目線ではもうこれは模範解答なんですけどね。質問者さんにとって、都合が悪い回答だったかな。きっと、質問を通して共感してもらいたかったんじゃないでしょうか。
でも僕は教師として、上記の回答で納得しています。今まさに、共通テストの申し込みの時期。この時期にはまだ推薦や総合型の入試の出願が始まっていません。
志望校の出願が始まっていないなら当然合否も決まっていないので、合格へのチャンスは少しでも多い方が良い。志望校に共通テスト利用型の入試が用意されているなら、共通テストを利用してでも入学したいと思うのは当然のことです。
厄介なのは、この日程を逆算して考えた結論が、”強制的にお金を払わせて生徒指導に利用している”という誤解が広がっていることです。
確かに、学校としては志望校に合格したとしても勉強を頑張ってくれていた方が、学校生活にだって身が入るし、その方が都合が良いです。
ただし、この”共通テストをみんなが受験してくれた方が勉強に身が入るから、良い雰囲気になりやすい”という考えが前面に出過ぎてしまう言い回し。これが誤解を生み、反発が起こるわけです。
そりゃ思いますよ生徒たちは。「なんでクラスの雰囲気のためにお金を払わないといけないの?」って。知恵袋にある質問と同じ考えですね。
僕が思うに、もし自分が担任しているクラスでそういう意見を持つ生徒がいたとしたら、それはこちら側の説明不足が招いた結果です。
共通テストとその他の受験方法の日程の関係を無視することは、「いやいや、それくらいの大学、総合型や推薦で受かってくるでしょ」と軽く見込んでいることになります。だろう運転と同じです。
生徒の進路を真剣に考えて、少しでも合格率を上げたいと思うのなら、自然と共通テストを受けた方が良いという考えに行き着きます。
その上で、経済的な状況や受験する科目数など、個別に抱えているものがあれば相談をするわけです。何も一律強制で受験させることを至福の喜びにしているわけでもないんです。
この答えに辿り着いたきっかけは、リスペクト
正直に話すと、僕も最初からこの"学校の先生としての正解"に辿りいたのは最近のことです。それに、"スケジュールから逆算したら共通テストを受けると考えるのが自然"というのも、数多くある正解のうちの1つだとも思います
数年前まで僕は、ネットによく書かれている「学校での授業では教えてくれない、現実的に必要な知識」というのに関心がありました。
ライフハック、手帳術、タスク管理、スケジュール管理などです。人によってはここに、契約書の読み方や投資の話なども入るかもしれません。
僕自身は昔から仕事術というものに興味があり、学生時代には手帳を使いこなしたくて、手帳術の本などを読んでいました。大学時代に選んだ手帳が「超」整理手帳だったので、そこから「超」整理法の世界へ入っていきました。
情報整理の分野に興味が出たきっかけもここからで、整理する=カテゴライズと思っていた自分にとって、「超」整理法は目から鱗でした。
こういうことって、本当に学校では教えません。整理整頓するための紙ばっかり配るくせして、言うことは決まって「忘れないように気をつけなさい」とか「折り曲げないようにクリアファイルに入れなさい」とか、そんなんばっかです。
だったら、入試が早く終わっちゃったのなら、意欲が湧かない勉強なんてやめて、こうした僕が教えたいと思っていることを講座として扱い、開講して教える方が、生徒の未来につながると思ったのです。
で、今の学年に所属した時に、この持論を学年主任の先生に話したことがあるんですよ。ここに書いていいのかな。そうしたら急に血走ったような目に変わられて、目の前の生徒が如何に学力が低いこと、大学進学前にどうにかして学力を伸ばしたいという信念についてお話しされました。
きっとその時に僕が言葉選びを間違えてしまったと思うんですが、受験が終わった後に必要な勉強の内容について、かなり言葉を交わせたと思います。
僕はこの時、その真剣な眼差しと思いに触れて、自分がこれまで合理的だと考えていたものと改めて比較しました。
多分、どちらも正しい。それでいて、どちらの正解も子どもたちの未来を考えている。どっちが間違っているとかではないなと思いました。
では、このどちらも正しく受け取れる信念を持った者同士がぶつかる時、どうやって折り合いをつけたら良いのでしょう。
昔、自分がやりたい仕事がありましたが、上司にあたる先生によって阻止されたことがありました。その時はその先生がやりたいと思う方向で話が進み、僕は指を咥えて見ているだけで終わりました。このことは今でも納得できていないし、正直思い出すのも嫌です。その先生が見ているものは、目の前の生徒ではなかったように思えたのです。
そのことと今回の件である仕事術VS学力とう構図は、それと比べるとどちらも子どものことを考えていて、どちらも正しく思えます。
その上で僕は、真っ直ぐに子どもたちのことを思い、心から学力向上を願い、全力で尽くす姿を見て、"敵わないな"と悟りました。
今勤務している学校は、お世辞にも進学校とは言えないほどの偏差値の生徒が毎年入学してきます。これは愛知県教育委員会が公開している高校別の志願者数からも読み取ることができます。
よくある考えとして、勉強があまり得意ではない層の子どもたちには部活動や課外活動を中心に頑張らせる方針を選択する学校ももちろんあります。前任校がややそういった色が強かった印象がありました。
そういう学校に来る生徒に、勉強を教えてもな。実用的じゃないよな。僕自身もそんな感覚がどこかにありました。
でも今いる環境、今いる学年では、どれだけ学力が低い生徒がいようとも、勉強を頑張らせる。学力を向上させる。まるで進学校かと勘違いしてしまうかのような高い熱量。でもその熱量に、僕は未来を感じました。
もうね、正義同士をぶつける時間が勿体無いと思ったんですよ。それよりも、1つの方向性を決めて、それに向けて動き出した方が建設的です。
自分の考えとどこが同じで、どこが違うのか。どうして違うのか。大切に思っていることは何か。2つの正義があり、どちらも正しいとき、どちらか一方を選択する際には何を基準にしたらいいのか。
DX本に書いた過去の話では、自分が正しいと信じることでさえも一方的に否定されました。自分の行いにも反省する点が数えきれないほどありましたが、あの物語を経て、今の学年にいます。
少なくとも僕は受け入れてもらい、認めてもらえているなと思えていますが、入試シーズンに突入したことで、ちょっとしたことでもかなりピリピリしています。信頼していただいている分、失敗が許されない今の環境に、緊張している毎日です。
帰宅するのは毎日19時ごろ。ゆかさんには申し訳ないと思いつつ、面談、面接指導、文章指導、推薦文執筆をむしろ19時までに終わらせているのは、自分史上初です。
前回の配信では、足並みを揃えることを「恩返し」と表現しました。今思うとちょっと言葉が足らなかったですね。もちろん、自分のことを救ってくださったからとか、蜘蛛の糸を垂らしてくださったとか、そういう御恩を感じているのはもちろんのことです。
それに加えて、僕自身も足並みを無理やり揃えているとか、本当にやりたいことを我慢しているとか、そういう感覚が不思議と湧いてこないんですよ。
普通は2つの意見がぶつかり、どこかで折り合いをつけるとなると、”納得できないけど仕方ない”と思える部分が出てくるはずです。
ところが僕は今、本当はこっちをやりたかったのにとか、自分が主任になるまで我慢とか、そういう感情も不思議と出てきません。折り合いをつけているという感覚すら、ないんですよ。
9月が終わり、10月に入ろうとしている今思っているのは、卒業まであと5ヶ月ほどだということ。共通テストまで4ヶ月と少し。数えてみると、残された期間は意外と少ないことに気づきます。
もっとこの学年で、仕事がしたかったなぁ。てっきり自分が足並みを揃えたいと思うのは恩返しだと思ってたんですけどね。全然そういうのじゃなくて、普通に学年の方針に賛同しています。嫌だけど仕方ないかなんて、全く思いません。
ただ、目の前のことに追われながら、目まぐるしく過ぎていく毎日に翻弄されながらも、もうちょっと時間の流れをゆっくり感じられないかなぁって思ってます。時間が過ぎるのがあっという間すぎる。
朝晩に肌寒さを感じるようになり、季節の移り変わりを実感する。今日この頃です。
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「学力VS仕事術」はとてもささる言葉でした!生徒が育つために必要なことを教えていきたいです。
共通テストへの指導をしたりすることはないのですが、例年通り、伝統で毎年なんとなくされている行事が多いと思います。その時はニーズがあったことを今の生徒には必要とされていない。なんでするのか説明ができないから、強制される。ただ、たまに越えないといけないハードルというものもあったりするので、全てをスクラップにするのも難しいと思います。