信頼される人物とは
生きることにこだわりを。魚住惇です。 ここ最近、特に9月に入ってから、自分自身と向き合う機会が増えました。
ここでいう向き合うというのは、自分がモヤモヤと感じていることを言語で表現して、思っていることの内容を明確にすることです。
前回の配信では、自分が思っていること、特に欲望について、それが自発的なものなのか、それとも誰かによって与えられたものなのかについて考えました。
それは与えられた欲望か? - by 魚住惇 - こだわりらいふ Newsletter
これは例えば、自分がプレイしているゲームにガチャの要素があって、課金しながらもガチャを引いている場合。きっと自分が当てたいと考えているレアなアイテムがあるんでしょうけど、そのレアアイテムを手に入れたいという欲望は明らかにメーカーによって仕組まれたものだと思うんですよ。
これを言い出したらキリがないんですけどね。ソシャゲに課金しているのと読書をするのとで、一見読書の方がコスパの面でも印象の面でも、頭が良さそうにも見えるし好印象だと僕は思います。
しかし本を読みたいという欲望でさえ、「多くの本を読む意識高い系でいたい」という思いが本心だとしたら、知識欲を満たすための読書とはまた違った印象を受けます。
欲望が欲望である以上、その内容が正しいかどうかなんて、所属している集団の伝統や時代背景、風潮などによって変わります。
だから僕は前回の配信では、その欲望が自分から湧き出てきた背景を把握することが大事なのではないかと書きました。
そこでふと思ったんですよ。じゃあ僕は、普段からどうやって自分についての理解を深めようとしているんだろうって。
今週は、そんな自分を見つめ直す機会があったり、その方法についても変化がありました。どうかお付き合いください。
信頼される人物とは
笑い話として聞いてください。僕今ね、3年生の担任をやってるんですけど、足並みを揃えたいって思ってるんですよ。
多分3年前の自分にこの話を聞かせても、信じてもらえません。かつて足並みを揃えるってことは、僕の長所を全て封印することでしたから。
でも、僕は今、担任として、同じ学年の先生方と足並みを揃えて働きたい。学年主任の意向を汲み取り、自分のクラスだけ変なことにならないように、揃えていきたいって、本気で思っています。
この感情には、9月になってから気がつきました。入試や就職活動など、生徒の人生に大きく関わることで、ことの重要さを前に自分勝手なことは許されない。そのプレッシャーからでしょうか。
そしてふとした瞬間に、「あれ?今の自分は、3年前とは全く真逆のことを思っている?」と思ったのです。
どうして
なんで
自分がそんな考えを抱いていたことそのものにも驚きましたが、すぐに「どうしてだろう」「なんでかな」と考え始めました。
これを「なんでだろう」というセリフで考え出したら、赤と青のジャージ2人組が出てくるので、「どうしてだろう」と考えることにしました。「どうして」だけだと現場猫が出てくるのでそれも振り切りました。
いや、そもそも僕はどの学校、どの学年でも、これまで足並みを揃えていなかったのか。そんなことはありませんでした。
僕が足並みを揃えなかったのは、2019年に1年生だったあの学年だけです。前の学校でも他クラスと足並みを揃えていました。
これは自分一人で答えが出る話じゃないな。妻のゆかさんにも聞いてみるか。
俺「最近、自分でも驚いてるんだけど、学年の先生たちと足並みを揃えたいと思ってるんだ。DX本の頃と比べるとえらい違いだよ。なんでだと思う?」
ゆかさん「学年主任の先生が素晴らしいからでしょ。」
ー完ー
あー、やっぱりそこに行き着くのか。そりゃ自分の直属の上司が信頼できる方だと、その人についていこうと思うよなぁ。
自分の考えとその人の考えが食い違うことがあるなら、自分の考えとは違ってるなと認識した上で、組織としてその人の考えの通りに仕事をするしなぁ。
昔、講師1年目にしてバスケ部の顧問を任された時、熱心な顧問と熱心ではない顧問との違いは、組む練習試合の数だと思いました。なりふり構わず練習試合を入れまくりました。
自分が主顧問である場合と、他の先生が顧問である場合とで比較したとき、僕が顧問だったばっかりに、子どもたちに不利益なことが起こってしまうのが、自分として許せなかったからです。
だから今は3年生の担任として、自分が担任をしてしまったことが原因で、生徒の将来に不利益なことが起こることは、絶対に避けたいと思って仕事をしています。
結果それが、自分よりも立場が上にある先生方を尊敬し、良い面を少しでも吸収して自分の糧にしようという行動に繋がりました。
この歳になってくるとある程度経験はあるわけだし、経験からくる自信というのも確かにあります。それでも一方で、僕の考え方が時に間違っているかもしれない。そんな前提を持ちながら仕事をしていると、自然とそんな姿勢になりました。
そうか、「足並みを揃える」という表現がそもそも適していないかもしれません。組織の一員として働くときに迷った時に振り返る原点のようなもの。これの共通認識があれば、自然と足並みは揃うはず。
あとはその方針に賛同できるか、そもそも理解できるか。これは論理的な部分。ここに自分の場合は感情的な部分として”信頼”があり、二重の意味で学年主任の先生についていこうと思った。
これのどちらかがねじれていると、 ”考えには賛同できないけど、信頼している” ”考えには賛同できるけど、信頼できない” という関係になってしまい、判断が分かれるところです。
非常に稀なケースですけど、僕は過去に、”個人的には大嫌いだし、そりも合わないんだけど、仕事上の付き合いとしては誰よりも信頼できる”という人物に遭遇したことがあります。
顔を見るのも嫌だし、声を聞くとイライラするし、何かとこっちに対して一言多いから大嫌い。でも仕事のこととなると正論だし、責任感もあって信頼できる。
きっと人生のうちそんな人物に出会うなんてことはほとんど無いと思うんですけどね。その人の愚痴を後輩たちが話している時に僕がフォローに入って、「先輩はあの人の味方なんですか?」みたいに言われてしまって。
その時には「人としては大嫌いでなるべく関わりたくないんだけどさ、この仕事に関しては誰よりも信頼してるんだわ。間違うこともないし。」と後輩たちに言ったもんです。諭したことになってるかどうか、わかりませんけどね。
リスペクトがあれば、足並みは自然と揃う
どの上司のもとで仕事をしている時でも、僕が足並みを揃えて仕事ができていた時は、「よし!これから足並みを揃えよう!」なんて思いませんでした。
そんなことを敢えて思わなくても、自然と揃いました。
唯一揃えられなかった時の理由は、かつて所属していた学年の学年主任の先生が、僕の考えを理解してくださらず、人間性をも全否定し拒絶したからでした。DX本にも書いたことですが、あれだけの仕打ちを受けたこともあって、勝手にICTというのを実行したのでした。
ある意味ストライキやデモに近い行動だったと思います。話し合いで解決できるのなら、その方が建設的です。
その時に、本当に強く願ったんですよ。自分の考えを理解してくれる人のもとで働きたい。僕という人材を、宝の持ち腐れなんかにせず、スペックをうまく引き出し、使い倒してくれるような人がいたら、どんなに充実していて幸福なことか。
こうして振り返ってみると、今は素晴らしい学年主任の先生のもとで働いていて、暗い過去もDX本を通して消化できて、恵まれている環境に身を置いているなと思います。
特にX(旧Twitter)を見ていると、べきべき言いながら愚痴ばっかり吐き出している人をお見受けします。そしてそういう人たちから搾取しようとしている副業系アカウントを見ると、もう吐き気がします。ツルハシを買わされてることに気づけよ。
でも今、自分がそんなダークサイドに堕ちてないことは、今の学校で、今の学年で働いているからです。この恩を返すためにも、精一杯働きます。
自分の心と向き合う
今週は、自分がどう思っているのか、何を考えているのか。この場面に遭遇した自分はどうしたらいいのか。
そうやって自分自身に問いかける場面が多くありました。そんな時に活躍したのが万年筆でした。
僕はよく、自分の心のうちをノートに書き散らかします。万年筆を握り、ただひたすら書き続けます。A5サイズの方眼ノートに、思ってることや考えてることが出てこなくなるか、手が痛くなるまで書きます。
多分これが、フリーライティングと呼ばれているものだと思います。
そして書いていると、「あっ」と新しく浮かんでくることがあります。新しいことが浮かんだ瞬間は、まだそれ以前のことについての文章を書いている途中です。それを書き終えてから書こうか、新しく書き始めようか、ちょっとだけ迷います。
それまでのことを書き終えるまで、思いついた内容を覚えていられるので、大抵の場合はなんとかなります。ただ思いついた内容が、これまでの考えを覆す大発見だったら、これまで書いた内容が書きかけた状態であってもすぐに書き始めます。
これがキーボード入力だと、不思議と同じことができません。”書きながら考える”は、どうやら手書きの方が得意なようです。
キーボードで文章を入力している時というのは、自分にとって書かなければならないことがあり、それについての文章を考えるモードに頭が切り替わってる感じがします。
だからキーボードによる入力では、あまり自分自身に対しての発見に遭遇する機会がありません。考えそのものがすでに出来上がっていて、あとはどう書くのかだけを考えている状態です。
今週はキーボードよりも、万年筆を使って文章を書いている時間の方が多かった気がします。それだけ、文字を通して自分と会話して、考えを引き出して、発見する。
手書きには、そんな効果を実感しています。
そうそう、万年筆をなんでここまで使っているかは、Xを見ている通りです。ただまた新しい沼に入りかけているので、誰か助けて。
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