生きることにこだわりを。魚住惇です。 今回もちょっとしたこだわりに、お付き合いください。
心情をノートに綴る「心筆ノート」
僕はずっと、文具王さんのアクセスノートブックを使ってきました。
B-LABO|文具王・高畑正幸公式サイト - AccessNotebook アクセスノートブック
教員採用試験を合格する前から、ブログの書き方などをメモしたり、その時にしていた仕事の内容をまとめたり。Apple Pencilがなかった頃からiPadに夢を込めながら、手書きのノートは1冊持ち歩いていました。
書き方はその時に応じて様々でした。非常勤講師として高校で授業を担当していたので、そのための教材研究や、家計簿代わりに簡単にメモをしたりとか。その時に頭の中で処理しきれないことを、頭の外で考えようとした時に使っていました。
ノートの使い方が一変したのは、ペリカンの万年筆スーベレーンM400を買ってからです。いや、正確に言うとM400を買ってしばらくしてからです。
万年筆を買ったばかりの頃は、それで何を書こうかとか、用途などは全く考えていませんでした。なんかちょっとステータスとして持っておきたいとか、何か新しい趣味を見つけたいとか。きっかけはそんな感じでした。
ちょうど万年筆を買うその前あたりに、僕の人生の中でかなりショックな出来事があったんですよ。そのことを思い出すと、悲しみのような、憎しみのような、まだまだ消化しきれていないんだなという思いが込み上げてくる。それだけ大きな出来事でした。
今でこそやっと、ここに書くくらい話せるようになったものの、もう当時の自分はどん底にいて、心の中がぐちゃぐちゃのまま過ごしていました。
時期で言うと、教採受かって、赴任した学校で初任者として初めての冬を迎えた頃でした。教務で時間割を担当して、サッカー部の主顧問をして。慣れない仕事と一人暮らし。そして大きなショック。もう自分を保てなくなっていたと思います。
授業をしていた時だけ、いつもの自分でいられました。気が紛れるから。でも職員室で時間割変更作業をやっていた時は、もう涙を堪えて仕事してました。
一人でいると、あれこれ考えてしまう。考えてしまうと、止まらなくなる。止まらなくなると、眠れなくなる。お酒を飲んでも酔えない。眠れない。涙が出てくる。
見かねた同僚の先生が飲みに誘ってくれたこともありました。その度に泣いていました。そうそう、iPad本の最初の挿絵みたいな感じです。
そこでふと、自分の今の心情を文章にしたものを、いつも使っているノートに万年筆を使って書きまくりました。文法はあまり気にせず、出てきた言葉をひたすら書きました。
そのままひたすら書いていると、ある程度文法がしっかりした文章を、書きながら考えて、考えながら書き出せるようになりました。そして万年筆を使って文章を書いていると、さらにそこから考えが出てきて、またさらに書き続けることができることにも気がつきました。
万年筆を使ったというのも影響しているんだなとその時から思いました。書くことにストレスを感じず、むしろ心地よいとまで思ってしまう。だからもっと書きたくなる。これがまた、文章を書くのにブーストがかかるのです。
書いていると、頭の中がスッキリして、心が軽くなりました。頭の中でうだうだと悩んでいると、ネガティブな考えがどんどんと頭の中で反響するような感覚がありましたが、書き出すとそれが自分の中から外に出ていくような感覚がありました。
そして、悩みごとについての正直な気持ちを文章にして書き続けていると、ふとした瞬間に新たな視点や解決方法などが思い浮かぶ瞬間を何度も体験しました。これは頭の中だけで考えていたときにはなかった現象でした。
多分、グループで何か新しい企画について考える時に、ホワイトボードに案を書きながらみんなで見て、また新たな視点を書き加えていくという、KJ法のようなものを脳が一人でやっていたんだと思います。
僕の場合は、万年筆でお気に入りのノートに、文章で書く。たったそれだけのシンプルなルールです。逆に言うと、変に箇条書きにするとか、マインドマップで書くとか、付箋を使うとか、そういうことは敢えてやりませんでした。
そして、そのノートを読み返すと、自分がそこで話しているのです。思ったこと、考えたことを、誰かに話す。書いているときは思ったことをそのまま文章で書いているだけなんですが、それを読み返すと、まるで読み手の人に話しかけているような文章になっているのです。
それが今となっては、本やnewsletterなどで書いている文章の原型になっています。
この活動を始めたのが2016年の1月からなので、かれこれ7年続いています。
ノート、全部保管してあるんですよ。で、あるタイミングで、万年筆のインクに変わって、全部文章で書くようになったの。
しかも教材研究とかそんなんじゃなくて、全部がその時の心について書いたもの。一気にノートの中身が他人に見せられないものになりました。一軒家を買ったらこれらのノートは、金庫にでもしまっておこう、鍵をかけよう、そうしよう。
心筆ノート
僕は自分が続けてきた、自身の内情にのみフォーカスを当ててフリーライティングを行ったノートに、”心筆ノート” と名づけました。
よし、名づけたぞ。検索にも出てこない。誰もまだ使ってない。
書いて心をスッキリさせるようなセラピーとか、よくあるんですけど、まぁ僕が実践している内容は、書けたら書くだけ書いて、書かないときは書かない。ノルマもない。毎日書かなくてもいい。
それくらい軽いノリでやっているものです。それに、自分が好きでやっていることなので、これが万人に受けるようなものでもないなということも分かっています。
あくまで僕自身が7年実践してみて、一番自分らしく居続けることができた。その方法が心筆ノートに胸の内を書き続けたことでした。
心筆ノートのルールは本当にシンプルです。
書こうと思った時にだけ書く
書き初めに日付を書く(ノートの日付欄でも良い)
その時に思っていることを文章で書く
話題が変わってもそのまま書く
他のタスクを実行するならノートから離脱して実行し、またノートに戻る
たったのこれだけです。主に自分の頭の中で思ったことなどを書き留めるために使います。心筆ですから。
心筆ノートの効能
頭の中がスッキリする
作業から戻っても再開しやすい
指を動かすからアイデアが出やすい
長時間書いていられる
心筆ノートの効能を、ざっと上げてみました。まぁまぁフリーライティングなどにも言われている効果とそんなに変わらないと思います。
僕が一番感じていることは、心筆ノートを続けていくことで、書き出されていく中身がかなりネガティブになることです。自分のこと、家族のこと、コンプレックスなど。
こんなこと、書いていて大丈夫なのか?これを書いている自分、かなり人として危ない人間なんじゃないか?そう思えるくらいの内容になります。
でもそれで大丈夫。何故なら書いていくうちに頭がスッキリするから。
やってることはまんまフリーライティングだと思うんですけど、「文章が書けない!助けて!」「書けないなら書けないと書けばいいんだよ」的なフリーライティングと比べて、僕の場合かなりネガティブな表現が出てきてしまうので、別の名前をつけたくなったんですよ。
そのノートの中身を見ると、その時の自分の心情がまとまっています。だから心筆ノートっていう名前で呼びたいんです。
効能のほとんどはフリーライティングと同じ。例えば、書かなくちゃいけない文章があったとしましょう。でも、書けない。書けなくて困っている。
そんな時に心筆ノートにその時の心情を書いていくと、その時に思っているネガティブな感情がどんどん外に流れていって、自然と「書かなくちゃいけない文章」に関わる断片が出てきたりします。
僕だけでしょうか。テーマを決めてフリーライティングしようとすると、うぐっっとなってしまって出てこない。でも、最初は普通になんてことない文章を書いていくうちに、ふっとテーマに添った内容が浮かんでくる。
テスト勉強をしなくちゃいけないのに、部屋の掃除をしたくなる。このテスト週間あるあるを解決するためには、僕は思い切って掃除をするしかないと思っています。
つまり本来集中すべき内容のために、心筆ノートを使って頭と心の掃除をしているわけです。
そして、書いているときに別のタスクを思いついたとしましょう。あ、あれやらなかんな。書いている場合じゃないわ。
そんな時僕は、書いている内容を途中のまま一度止めて、思いついたタスクに取り掛かります。そしてタスクを終えてから、また心筆ノートに戻ります。
この行き来をして、心筆ノートに戻ってくると、中断した思考が再びその場所から再開できるような気がしてきます。書かれた文章、つまり中断するまで考えていたことを読み込んで、その続きが頭から出てくるようになります。
まるでゲームのセーブデータをロードしたみたいになるわけです。
ただ、自分で思いついたタスクだったらスッとやる気が出てきて実行できるのに、他の人から舞い込んできたタスクだと途端に気が滅入ったりします。厄介です。
しかも学校で心筆ノートを書いている時に話しかけられても全然嫌じゃないのに、家だと無性に腹が立ちます。ゆかさんには本当に申し訳ないんですが、正直な気持ちです。
そして何より、キーボードで文章を書いているのと比べて、かなりアイデアが出やすいなと感じます。手で書くのが手先を細かく動かすことにつながり、脳が刺激されるからかなぁなんて思ったりします。この辺りはエビデンスが欲しいところ。
でも現実として、僕は手書きの方がアイデアがポンポン出てくる感じがしているんですよ。ほんと不思議。無刻印のキーボードを使っていて、ずっとこれでタイピングしたいと思っていても、キーボード入力できるのは頭の中に既にある内容だけなんです。
今書いているこの文章は、キーボードでひたすら入力しています。でもそれは、手書きのノートでこの内容を一通り書いたからできていることです。
そのノートを見ながら入力しているわけではありませんが、何もない状態、ゼロからの書き出しは手書きでやって、それで頭の中を整理した上で、こうしてキーボード入力のみですらすらと文章が書けています。
よくあるのが、まず文章を書いてみて、それを見ながら、もう1回同じ内容で書いてみるという手法。これをやると、2回目の文章が格段に読みやすくなります。これの1回目を手書きでやっているイメージです。
この手法、1回目に書いた文章がせっかく保存してあるというのに、それを加工したらダメなのかという考えがまず出ると思うんですけど、結論から言うとそれでは効果なし。
だから僕は、書いた文章に納得できなかった場合は、同じ内容の文章を2回書きます。その方が1回目の文章を下手に校正するよりも短時間で良い文章に仕上がるんです。
1回目の文章を書くときは大抵真っ白な画面だったりして、なかなか書きづらいんですけど、それが僕の場合、心筆ノートに万年筆を使って心情を綴っていると、ランダムなタイミングでふと書きたい文章が出てきて、その後にどわーっと書いていくわけです。
それが終わったら、2回目としてキーボード入力を始める。学校の職員室では本当にこの光景が気持ち悪いんだろうなって思っています。僕はずっと万年筆でノートにぶわーっとひたすら書いてますから。
それでも僕は、少なくとも”仕事が遅い人間”と思われないように仕事を進めているつもりです。これが僕の早い仕事の進め方なんです。
そして万年筆。心筆ノートにピッタリのアイテムです。指先の感覚にペン先が答えてくれて、心地良い。書いていて飽きません。
キーボードならHHKB、筆記具なら万年筆ですよ。それを使ったら、どんどん使いたくなるんです。書きたい。止まらない。書きたくなるから文章が出てくる。文章が出てくるからそれを書きたい。疲れてくるまで無限ループです。
心筆ノートに欠かせないアイテムだからこそ、僕は万年筆にもこだわりたいんです。もっと心地よく書けるようになるためには、どうしたらいいのか。ここ最近はずっとそこを追い求めてきました。
困ったことに、M1000の次には何がいいかを考え出している自分がいるので、万年筆って本当に危険だなって思います。いや、見ているだけですよ?ネットを見ているだけ。ヤフオクでモンブランを見ているだけだもんね!でも低価格な万年筆もそれはそれで良い。
前々回、万年筆の沼について書いたときに頂いたコメントを、ゆかさんと共有しました。50歳を迎えるタイミングでスーベレーンを買おうとしているという内容でした。
ゆかさん「見てごらんなさい!この人は50歳でペリカンの万年筆を買おうとしてるの!なのにあなたはペリカンを何本持ってふじこふじこ!」
俺「でしょ?だからペンケースを買ったんよ」
ゆかさん「プンスカプンスカ!」
今回のnewsletterは以上となります。本当は「心筆ノートを実践してくれた生徒の話」を書こうと思ったんですが、前置きが長くなってしまったので次回に回したいと思います。
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初任者の時、ストレスから、2日ほど寝込んだのを思い出しました。その時、助けてもらったのは、指導教員の方であったり、変な話ストレスの原因であった教員であったりしました。
面と向かって話をして、つなげることで解決できたことだったように思います。
そこから、”つなげる”ってのはとても大切な行動だと思って過ごしています。
それは人間関係に限らず、ツールでも。なので、ScrapboxやObsidianで事柄をまとめることは自分の安定剤でもあります。