生きることにこだわりを。魚住惇です。 今回もちょっとしたこだわりに、お付き合いください。
前回の配信で、僕の仕事ぶりに感動してくれた先生の話をしました。
そうそう、もう新聞発表もされたので頃合いですね。魚住は令和6年度も現任校で働きます。それはそれで良かったんですが、今回異動される先生で、DX本のあとがきに名前を書いた方が2人もいたんですよ。
思えば、ロイロ認定ティーチャーに認定された先生方も、早くに異動されてった気がします。
そうそれで、これまで校内の端末やネットワークを管理していた、二人三脚で一緒に仕事をしてきた先生が、この度ご異動されることになってしまいました。
僕が今の勤務校に転任したとき、その時の教頭先生からは「あの先生とどれくらいコミュニケーションが取れるかに、かかってるよ」と言われたことを今でも覚えています。
でもね、僕はその先生とお会いして、一緒に仕事をしていたのが、本当に楽しかった。相性が良いとはこういうことを言うんだなと思えるほど、お互いに考えていることがなんとなく分かったり、うまく役割分担をして連携が取れていました。
パズルのピースがうまくはまった状態のような、妙な安心感がありました。同僚の先生からも、僕がこの学校に赴任してからは、その先生がイキイキしているように見えたそうです。黄金コンビ。
まさか、その先生が異動されるなんて。
泣いている場合ではありません。悲しんでいる暇もありません。そんなことに時間を使うくらいなら、1つでも仕事を進めないと。
そうそうれでね、新しく僕と一緒に仕事をしてくれる人を校内で探しました。というか彼しかいませんでした。それがこの話の最初に話した、僕の仕事ぶりに感動してくれた先生です。
その先生は、タイピングこそ早いものの、パソコンの細かい部分でも操作まではやったことがありません。例えばコマンドを打ったこともありませんし、Windowsで言えばレジストリをいじったこともありません。
でもExcelは多少触れるし、操作方法でわからないことがあれば、ある程度は自分からググってくれます。
問題は、その先生とどうやって仕事を進めたら良いのだろうかということです。同じ分掌で働くことになったので、万が一僕が来年度異動してしまうことも考えつつ、仕事の内容を引き継げるようにしたいと考えていました。
そこで考えたのが、iOS,iPadOS標準のメモアプリの活用です。あのメモ、いつの間にか内容にタスクを記入することができたり、ドラッグ&ドロップでPDFを挿入できるようにも進化していました。
あ、これ良いじゃん。これを使って仕事の内容を記録していこうかな。
そう思ったので、早速その先生とメモアプリ内の特定のフォルダを共有することにして、仕事の内容やタスクなどを割り振ることにしました。
今僕のメモアプリ、こんな感じです。プロジェクトごとにノートを作りました。まだ未完了のタスクがあるプロジェクトにはチェックマークの絵文字、全てのタスクが完了したプロジェクトには「OK」の絵文字がノート名の先頭に入っています。
まずこれで未完了のタスクが残っているプロジェクトが一目でわかります。チェックが多すぎて吐きそう。
それと、ふとした瞬間に確認したくなるような資料は、開いているノートのアイコンを入れました。これで「このノートはプロジェクトか?資料か?」といちいち確かめる必要がなくなりました。
メモにPDFが貼れるって、良いですね。ただまだちょっと、手書きを追加しようと思うと操作性が安定しない感じがします。だとしても、純正のメモアプリだけでできるのが素晴らしい。
こんな感じのノートをフォルダに入れて、フォルダごと共有をかけました。同時に編集するとカーソルに名前が表示されるのもイマドキのツールと一緒です。
3月下旬ごろからこの形で運用してるんですが、本当に快適です。プロジェクトの全体像を確認しつつ、個々のタスクに集中できるのも良い点です。きっとほとんどの場合は部下は言われたタスクをこなす感じになっちゃうと思うんですが、全体像があれば「自分はこの流れの中のここをやるんだな」と思えます。
2人揃って作業する時は、まず着手するプロジェクトを決めて、中身を確認。「俺これやるわ。」「じゃあこっちをやります。」みたいな分担作業をして、それぞれ別のタスクに着手。自分のタスクが終わったら残りのタスクのうちできることをやる。
そこそこリズム良く進めることができますし、何より事前に内容が把握でいるので、「今からこれをやれと命じられた」みたいなことにもなりません。
そしてこの形式でプロジェクトを完遂し続けていけば、1年間の流れが掴めるようになるんじゃないかと予想しています。例え自分が異動することになったとしても、代わりの人がこれを見て、どの時期にどのプロジェクトをやっていたのか、どんな作業をしていたのかを把握して、例年通りのタイミングでこなせますように。
これまでは自分だけが快適にタスクをこなせたらそれで良かった。どれだけでも効率化を求めて大丈夫だった。でもタスクが人についてしまったら、それは組織としてはあまり良くありません。その人が抜けてしまったときのダメージが計り知れません。
今が校内情シスの繁忙期。考えることが多すぎて吐きそうですが、新たな仲間が増えたことで、自分がこれまでやってきた仕事内容を後世に伝える必要性が出てきました。
これまでとは違った立場での働き方の模索は、まだまだ続きそうです。
僕はもう、FIREしてる
そうそう、少し前に、職員室で仲の良い先生方との間でFIREしたいかどうかを話す機会がありました。
単語の意味自体はなんとなく知ってました。経済的自立&早期リタイアを意味するものだとか。労働ではなく株や不動産などの不労所得のみで生活することを実現したら、労働せずとも生活していけるという考え方です。
なんかね、僕の周りにはこのFIREに憧れている人が結構いるようでして。例えば、「宝くじが当選して、一生働かなくても良いくらいのお金が入ったとしたら、それでも働きますか?」と聞かれたら、仕事を辞めるという選択を現実的に考えるようです。
でも、少しは仕事をしていたいから、非常勤講師として授業だけをやろうかな。みたいな。
なんでこんな話になったかというと、妻のゆかさんともFIREについて話しているときに、見出しに書いたような言葉を思いついたのが発端でした。
僕はもう、FIREしてる
期限付任用講師を3年、非常勤講師を3年、それから教員採用試験に合格して、今年で正規採用10年目を迎えます。
講師の期間は来年度の職業が決まっていない不安定な感じがあって、毎年春になるとソワソワしていました。
「もうすぐ採用試験がある。でも採用試験を受けなくとも、教壇に立ち、授業ができている。でも体がむず痒くなるというか、何か大切なものをずっと忘れている気がしている。」
ちょうどこの時期、急に暖かくなりますよね。この気温の変化がむず痒さに変わって、何かを家に忘れたまま出勤してしまったような、妙な感覚に襲われることが度々ありました。新年度が始まるといつも。
それが教員採用試験に合格してからは、不祥事を起こさない限りは給与はもらえますし、何より目の前の生徒に集中できます。次年度の職への不安がなくなるわけです。今はもうむずむずしてません。つまり、先の不安がなくなって安定しているってことですよね。
もしFIREの目的がその領域に達することなんだとしたら、ひょっとしたら自分はすでに似たような気分を味わっているんじゃないかと思えたんですよ。
僕の感覚で言うと、自分の生活の軸が学校なんですよ。学園ドラマに出てくるような、学校という場所での物語の登場人物をやっている感覚で仕事してます。
住んでるんですよ。学校に。実際にじゃなくて心が。ここまで書いておいてあれなんですが、この形容し難い感覚をどう説明したら良いのか、時折考えていました。
そこでハッと思いついたわけです。ひょっとしたらこの感覚がFIREなのかと。学校での仕事は基本的には「楽しい」が根底にあるので、苦手なことや大変なこともありますけど、辞めたいと思ったことも、自分が学校でやっていることが労働だとも思ったことがありません。
上司が異動してしまって、自分が部下を持つ立場になってしまった。どうしよう。この状況をどうしたら攻略できるだろう。ゲーム的思考ってこういう感じを言うんでしょうか。目の前にやるべきクエストがあったら、どうやったら攻略できるのかを考えてます。
DX本に書いた頃は、そもそも攻略すんじゃねーよ大人しくしてろ的な雰囲気があったんですが、今はむしろ、どう攻略するのか見られている感じがします。そう考えるとね、自分の人生の新たな1ページが始まってる気分です。ワクワクしてます。
今回のnewsletterは以上となります。 「いいね」を押していただけるとうれしいです。仕事に対する感覚で思うところがありましたら、「#こだわりらいふ」をつけたツイートや、Substack内のコメントなどで教えてください。なんだろうなぁ、僕は「働く」っていう感覚じゃないんですよね。しかもそれが割と少数派なことにも驚きました。