生きることにこだわりを。魚住惇です。
今回はニュースの紹介が主ですが、僕のちょっとしたこだわりにお付き合いください。
一太郎は、実は凄いんだぞ
一太郎が話題になりましたね。Microsoft Wordがワードプロセッサアプリの代表格と言っても過言ではないくらいになりましたが、学校や役所などの公文書が飛び交う環境では、一太郎は大活躍しています。
この記事の批評として、「まだ一太郎とか使ってんの?wwww」みたいな言葉をTwitterでよく目にしました。
教育現場で働く僕から言わせていただくと、一太郎というワープロソフトは、凄いんですよ。
使い方はWordと全然違います。Wordから入った人は、その思想に馴染めなくて全然使えません。しかし、実は日本語で書く印刷文書を作るのに、これほど最適化されたものは他にないと思うほど優秀なんです。
公文書に完全対応
公文書と呼ばれる文書があります。自治体や学校現場で交わされる紙のことです。この「文書」という存在には、これまでずっと厳しく守られてきた型が存在します。これを守られていない文書は文書と呼んでもらえず、文書ではないものは効力が認められません。
「公文書」とはどんな書式なのか、書く際にどんなルールがあるのか。自治体によって若干の差はあるものの、日本全国でほぼ統一されています。
Google検索してみると、広島県自治総合研修センターの資料が出てきました。内容としても愛知県のものとほぼ同じのものでした。
試しにざっと目を通してみてください。
平成28年4月広島県自治総合研修センター
平成28年度初任研修(前期)文書の 基本 ~文書に始まり文書に終わる~
http://www.kenshu-hiroshima.jp/hiroba/bunsho_kihonH28.pdf
読んでいて、頭痛がします。僕は10分と耐えられませんでした。日本の役所は、この基本を頭に叩き込み、文書を作ります。
特に見て欲しいのは、書式について書かれた21ページです。改行の行数や、空白の文字数、揃える場所が細かく書かれています。
Wordで、新しい文書をそのままの設定で使うと、100%この書式のように作れません。ズレるんですよ。書式を守った文書では、文字を縦に見ても揃っているのが当然である。というのが文書のあり方です。Wordでこれを守ろうとすると、気がおかしくなるくらい調整に時間をかける必要があります。
そもそもWordはMicrosoft社製です。英文を書くためのアプリとして開発されました。アルファベットは文字そのものには意味がなく、単語として表現して初めて意味が出てきます。Wordでは文字の塊を単語として認識して、行をまたぐ処理をするのはそのためです。
それに対して日本語はというと、1つの文字に意味を込めた漢字を使います。文字が縦にも横にも揃っている方が美しいと感じるわけです。
Wordはデフォルトの設定ではそんなところまで配慮してないんですよ。フォントは書式の設定を細かく設定して、やっと文書が書けるようになる。それがWordです。
話を一太郎に戻しましょう。一太郎はなんと、「狙った場所に狙った文字を入力することができて、尚且つズレない」のが特徴なんですよ。だから公務員御用達なんです。
「ここにこの文字を入れたいんだよな。」→入れられます。しかも他の文字は揃ったままです。
「ここからここまで罫線を引きたいんだよな。」→できます。図形ではなく、罫線という概念があります。
他にも、文字を揃えるための書式設定がめちゃくちゃ細かくできます。古文漢文のレ点みたいな書式にも対応しています。国語科の先生の中にも愛用者が多くいらっしゃいます。
日本語文書独特の美意識に、ちゃんと対応できる。だから一太郎は凄いんですよ。
一太郎に対して、これまで(笑)をつけていたそこのあなた、一太郎のこと、少しは見直しました?ちなみに僕はWord派です。
教師のバトンプロジェクトが悲惨
文部科学省が「#教師のバトン」プロジェクトを始動しています。
[「#教師のバトン」プロジェクトについて:文部科学省](https://www.mext.go.jp/mext_01301.html)
これは、主にTwitterやnoteで、このハッシュタグをつけて教師の魅力や業務改善案などを投稿してもらい、教員志望者を増やそうという取り組みです。
これが、これがですね、大荒れなんですよ。
これまでの不満が、一気にドバーッと出た感じがします。
https://twitter.com/search?q=%23%E6%95%99%E5%B8%AB%E3%83%90%E3%83%88%E3%83%B3&src=typed_query&f=live
これだけ投稿されると、メディアも黙っちゃいません。
4月2日付で萩生田大臣のインタビュー記事がFNNプライムオンラインにアップされていました。
[「#教師のバトン」萩生田文科相に真の狙いと覚悟を聞く FNNプライムオンライン単独インタビュー](https://www.fnn.jp/articles/-/164146)
少し話を整理します。「#教師のバトン」プロジェクトの開始は3月26日でした。僕がこのプロジェクトを見てかなり驚いたのは、
「投稿にあたり、所属長からの許諾等は不要です。」
の但し書きがあったことでした。これは本当に凄いことです。
7年ほど前、僕は管理職からSNSをやめるよう言われたことがあります。「火のないところには煙は立たぬ」という言葉があるように、生徒や保護者の愚痴をSNS上に書いてしまう一部の教員がいたために、「教員全員がSNSをやらなければこういった問題は起こらないでしょ。」という考え方に至ってしまうわけです。
学校の先生という生き物は、「禁止」という言葉を使いたがる習性があるので、問題が起こるとすぐに臭い物に蓋をします。
その学校を管轄する文部科学省が取り組むプロジェクトで、「投稿にあたり、所属長からの許諾等は不要です。」と但し書きを載せたわけですよ。
所属長というのは、学校で言うと校長先生のことです。通常ならば、保護者に配布するプリントは全て校長先生の決済が必要です。誰もが見ることができるWebも同様に、管理職の決済が下りなければ、公開することができません。それを、「児童生徒等の個人情報漏洩、個人の特定に繋がる投稿は禁止です。」とした上で、校長先生の決済が下りなくともSNSに投稿しても良いというお墨付きが出たのです。
僕にとっては時代が変化した瞬間を感じた出来事でした。
まぁその結果、悲惨なツイートの嵐となったわけですけどね。
これだけの投稿を見ると、学校の先生って、ネットに色々書く人なんだと思われるかもしれません。
誤解のないように言っておくと、先生でTwitterアカウントを保有しているのは、ほんの一部です。学生時代からTwitterを使ってきた世代が社会人になったことで、教員のアカウントも必然的に増えてきたように思いますが、少なくとも僕が勤務してきた学校では、多くて数名程度です。あくまで僕の観測範囲でしかありませんが、趣味垢が多かった印象があります。
(Facebookはまた別の勢力がいたりもしますが、それはまた別の話)
今回の騒動では、多くのアカウントがツイートしたように見えます。しかし、実際は職員室で仕事をしていると、少なくとも僕の周りは、どんな新入生が来るのか楽しみで、心待ちにしながら新学期の準備をしている先生方がほとんどです。そんな先生方の声は、Twitterには出てきません。
前の段落で「これだけの投稿」と敢えて書きました。Twitterで色んな書き込みをされている先生を見かけると、その人の想いも一理あるなと思う一方で、「こういう人たちばかりじゃないんだけどな」とも思うのです。
「これだけの投稿がー」と感じると、教育現場がネガティブなものに見えてしまう。
だからここでは言わせてください。
準備は大変ですが、入学式や始業式は、僕は毎年楽しみにしています。
卒業までの間、同じ学舎で共に学び合える大切な生徒と会えるんですから。
最近読んでいる本
職員室内で席替えがありました。新年度が始まると、職員室の先生方の机の配置が変わります。職員室の中は、学年ごとに机をくっつけて島を作っているからです。
今年度の新しい席で僕の右隣の先生より、おすすめの本として紹介してもらった本を今読んでいます。
『もしも徳川家康が総理大臣になったら』という本です。
ジャンルは、「ビジネス小説」です。ビジネス本のような小説です。
物語の時代は現代で、しかも新型コロナウイルスの感染が拡大している今の情勢をそのまま設定されていました。そのコロナ禍で内閣府でクラスターが発生し、内閣総理大臣を含めた大臣らが全滅。そこで与党が、歴史上の人物の姿や思考をAIで再現して、内閣を運用するという物語です。AIに国を運用させるとどうなるのか、小説なので作者の想像でしかない物語ですが、内容がとても興味深いです。
新型コロナウイルス感染対策としてどんな政策を打ち出すのか。一言で言うと、作者の政治的思想が物語を通して見えてくるなって思う本でした。
それと、小説なので架空の話ではあるものの、ビジネス書に書かれているような考え方がそのまま政治に応用されていくので、普段からビジネス書を読むような人は楽しく読めると思います。
人から「面白いよ」と勧められる本って、高い確率で面白いですね。隣の席になった先生から出てくる次の1冊が楽しみです。
今回のnewsletterは以上となります。内容に関するご意見ご感想がありましたら、「#こだわりらいふ」をつけたツイートや、Substack内のコメントまでお願いします。直接DMを送ってくださるのも嬉しいです。