書く理由、公開する理由
生きることにこだわりを。魚住惇です。
うちの学校に今年の4月から赴任した初任者(正規採用1年目)の先生に、このnewsletterの話をしました。
そうしたらその成り行きで、この配信から読んでくれることになりました。
同じ学校で働いている、しかも年下の先生に「登録してね」と言うのは、正直高いハードルを感じました。Substackのサイト上でも読むことができるわけですし、検索しても出てきます。それをわざわざ登録させるなんて、ちょっとしたパワハラになってしまうのでは?
そう思って「いや、やっぱり登録解除してもいいよ」と後になって話したんですが、「読ませていただきます。」と大人な受け答えをされてしまいました。だからきっと、水曜日にはこの文章を読んでくださることを願っています。
今回も魚住のちょっとしたこだわりに、どうかお付き合いください。
どうして書いてるんですか?
その初任者の先生にnewsletterの話をしたときに、こんな質問を受けました。
「どうして書いてるんですか?」
あ、え?どうして?なんで?何を聞いてるんだこの人は。
「どうして書いてるんですか?」
どうしよう。何て答えたらこの先生に伝わるんだろう。自分にとって、当たり前だと思っている行動に理由を問われた時、人間の本質、真理を見出せと言われているような気がして。職員室で数秒間フリーズしました。
食事をするのはお腹が空くから。歯磨きをするのは口の中を清潔にしたいから。寝るのは眠たいから。
じゃあ、文章を書く理由は?これが今回のテーマです。本当は今回の配信は万年筆のことについて書こうかなとずっと思ってたんですけど、ちょっと僕の万年筆事情がまた新たな展開を迎えています。
今まだそこの真っ只中なので、書ききれなくて困っていました。またそのうち、どこかで万年筆のことは話そうと思います。これに関しては今、心がぴょんぴょんしています。
この10月4日に配信する内容について日曜日にずっと考えていて、「書くことがない、書くことがない。」と万年筆でノートに内容の断片を書きながら悩んでいました。
先週の内容の8割は土日に書き終えていたので、心にかなり余裕を持った火曜日を過ごせました。土日に書くことをすっかり忘れてしまった時は、月曜日と火曜日にかなりストレスがかかったり、睡眠不足になったりしていたものです。
であれば、今週末だってできれば今度の配信する文章はなるべく書いておきたい。でも書くネタがない。どうしよう。困った。
そう思いながら書いているときに、初任者の先生から言われた言葉を思い出したのでした。
なんでここまで苦しい思いをしてまで、僕は文章を書こうとしているんだろう。
〆切に追われているとね、本来の目的とかはよくよく見失うものです。余裕がないと、普通なら持ち合わせている判断力すら弱くなります。
焦って、自分を見失いそうになって、どうにもこうにもうまくいかない。僕は自分がそうなりそうな時、今回みたいに慌てふためいている自分を勝手に客観視する癖があります。
はて?どうして今自分はこんなに追い詰められてるんだろうか。
今回の問いは、「どうしてnewsletterを書くのか」です。でもこの表現では本質に辿り着けていません。なので言葉を分解することにしました。
書く理由
newsletterを毎週配信するということは、文章を書くということです。そして書いた後に、配信、もしくは公開するわけですね。
newsletterを配信するということを分解すると、書くことと公開することに分けられると思います。
ではまず、書く理由から。
そもそもが逆なんですよ。どうして多くの人たちは、こうも書かないんでしょう。
これは、学校での教育方針が裏目に出てしまっているんじゃないかというのが僕の仮説です。
文章力や読解力を身につけさせたいのはわかる。それは僕も同じ思いです。でも、学校で生徒が文章を書くときって、それが課題や宿題として出たときですよね。
文章力を向上させたい。だから課題として文章を書かせる。これで書くことが好きになると思います?
野菜が嫌いな子どもに、野菜を食べられるようになってもらいたくて、目の前に野菜をたくさん置いて、食べろと言う。これで野菜嫌いが治ると思います?下手したら余計に嫌いになる可能性がありますよね。
文章を書く力があると、文章を書かなければならない時に、困らなくなります。他の職業は分かりませんが、学校の先生として働いていると、文章を書く場面にしばしば遭遇します。
週間記録簿とか、何かにつけて研修の際には感想などを枠内に書くことを求められます。僕で言うと今は推薦書。それらが目の前に現れたときに、書くことそのものに抵抗がない方が、内容を考えることに集中できます。
書くことをさらに分解すると、書く作業と内容を考える作業に分かれます。
ここが大事なんですよ。多くの方は、文章を書かなければならないときに、既にそのお題が決まっています。与えられた内容について、書かなければならないわけです。
書くことが思い浮かばない上に、与えられたテーマもある。二重に苦しいと思います。そう、書くことだけでに分解したとしても、苦しさは二段構えというわけです。
そして多くの場合、「与えられたお題について書く内容が思いつかない」というのが、本音だと思います。
原稿が書けない、課題のレポートが提出できない。
あ、ちなみにですけど、ここまで一丁前に語っている僕ですら、テーマに沿って書くってことに、未だに苦労してますよ。だから書けないからといって、自分を否定しなくても良いです。
でももし、内容を自由に書いて良いと言われたら、自由に書けますか?
これができるようになると、「書くこと」の第一段階がクリアできたんじゃないかと思うんですよ。
文章を書くことに苦しんできた多くの人たちが、実際に苦しんだ時は、与えられたテーマに合う内容を書かなければならないはず。それはそのテーマにちなんだ文章が書けなくて困っています。
なので、テーマとか関係なく、自分が書きたい内容を自由に書いて良いとしたら、いよいよ文章そのものを書くことだけに集中できるわけです。
僕は偶然にも文章を書くことそのものに苦手意識がありません。オタク気質なので、語りたい時は思う存分語りたいんですよ。それが喋りではなく文字になっているだけ。
だからこうして自由に書ける場所が欲しいんです。書く内容が決められている時は、内容によってはかなり推敲を求められる場合があります。仕事として文書を書くときなんかはほとんどそう。
思ったことを自由に書ける。今こうして僕は文章を書いていますが、推敲なんてしてないし、思ったことをそのまま入力しています。
これが楽しいんですよ。文章を書けている瞬間が。多分、ブログ時代から文章を書いているのが習慣化できていると思うんですけど、思いついたことをつらつらとキーボードを使って入力していくのが、僕には時間が必要であっても抵抗を感じなくなってきました。
お気に入りのキーボードを使ってタイピングしているなら尚更です。
こうしてまずは「書くこと」を2つに分解することで、自分が困るとすれば「テーマに沿った文章を考える」ことだなと分かりました。書くことそのものには抵抗を感じないんだなというのも、今になって言えることです。
そうなると、仕事で与えられた課題について書く必要が出てきた時も、全く書かない生活を送るよりも、ハードルの高さが半分になるわけですよ。内容さえ固まってきたら書けるという状態は、かなり仕事がしやすくなります。
それにね、前々回の配信でも書いたとおり、書く内容を気にせずに、ただひたすら書く作業が、僕にとってはマインドフルネスと同じくらい効果があるんじゃないかと思ってるんですよ。
頭の中でモヤモヤしていることを書き出すって、いいよね。次第に頭の中が空っぽになって、次第にエンジンがかかってくる。空っぽになってからが本番です。思いついたことを書くようになる。そうしたらまた他のことを思いつく。その繰り返しです。
職場でも、最近はノートに万年筆でただひたすら書いていることが多いので、異様な光景なんだろうなぁって思うんですけど、この時期、全ては推薦書のためです。
日常を豊かにして、文章を書く仕事のハードルの高さを半分にしてくれる。これが僕が文章を書く理由です。
公開する理由
これはnewsletterにしろ、ブログにしろ、書いた文章を世の中に公開する理由の話です。
本だと分かりやすいですね。その人の知見や経験を世に広めることで、世の中が良くなる。これを目指して、出版が行われているはずです。
では自分が書いた文章を、どうして公開するんでしょう。
僕が文章を公開する理由というか、ことの発端を話します。小学生の頃から、自分で考えたことを文章にするのが好きでした。読書感想文みたいなのは苦手で、ずっと母親の力を借りていましたが、与えられた課題の文章を書くのではなく、思ったことを自由に書くというのは好きな方でした。それがいつしか、オタクとして語る部分に応用されていきます。
さっきの話の続きで言うなら、お題が決まっていなくて、自分が思ったことをそっくりそのまま書いて良いのなら、自分の場合は言葉がすらすらと出てきます。それが自分が語りたい内容だったら尚更です。
でもねぇ、その書いた文章とやらが、自分以外の人が見て、良いものだと思うかどうか、わからないじゃないですか。それを読んでもらうのも勇気がいるし、それで気に入ってくれるかどうかもわからない。
内容が自分の興味関心に関係するものの語りで、尚且つ読んでくれる人がそれに興味を示してくれなかったら、それこそ読んでいる間は苦痛かもしれません。
そんな悩みを解決してくれたのが、インターネットでした。ほら、ネットには人が書いた文章が山ほどあるでしょ?しかも興味があるものだけを読んで良くて、気に入らなかったら戻れば良い。
そう思えるとさっきのように思えていた不安がほとんどなくなります。見たい人が見てくれるのであれば、それでいい。
しかもね、自分がこれまでの人生で出会ってきた誰よりも、ネットで自分の文章に触れて下さった人の方が、共感してくれる人にぶち当たる確率が高いんですよ。もちろんリアルのコミュニティで知り合った人の中にも、自分の興味関心にドンピシャな人もいます。ただ出会う確率で考えたら、読んでくれる人が一人でも多い方がいい。
それに、喋っているのを聞くのと、文章を読むのとでは、文章の方がゆっくり読めます。文字情報であれば、「え?もう1回言って」と思ったら少し前から読めば良い話です。
文章を通してその人の想いに触れる。文章なら、何度でも読み返せます。そんなことをわざわざしてくれる人がいたら、僕はもう飛び跳ねて喜びます。
ネットで誰かが書いた文章を読んだ時、「あ、そうか、ここなら自分が思ったこと考えたことを、どんどん書いていいんだ」と思うようになりました。次第に交流も生まれました。
手帳の使い方について書いたら、手帳が好きな人とやり取りするようになりました。iPadが好きだと書いたら、同じような人と出会いました。
やりたいこと、思ったこと、考えたこと。どんどん書いていくことで蓄積されていき、それが公開されていれば、誰もがいつでも読むことができる。誰が好き好んで読んでくださっているかもわからないが、誰かの目に止まるかもしれない。
僕がブログを始めたのが2003年。WordPressは2008年から。ちゃんとブログを書こうと思ったのが2012年。その頃に知り合い、Twitterで認知した方達の中で、今も何かしらのメディアで書き続けている方は、どれくらい残っているでしょうか。
きっと今もこうして自分みたいに残っていらっしゃる方達は、発信の形態こそ変わったものの、文章を公開していることには変わりありません。言いたいことがたくさんあって、書きたいことがたくさんある。
しかもそれを多くの人に読んでほしい。そんな思いが込められた文章は、読んでいてこちらも楽しくなります。そういうのを読みたいんですよ。
自由に書きたいことを書いて、それを公開する。このことのメリットを書き出しても、まだまだ語りきれないメリットが多くあると思います。これだけ書いても全部書ききれてないって思うもん。
一言で言えば「やってみたらわかる」なんですけどね。まだ書いてない人向けに、自分なりの書く理由を語ってみたくなりました。
この文章を読んで、自分も書いてみようかなと思ってもらえたら嬉しいです。
今回のnewsletterは以上となります。 「いいね」を押していただけるとうれしいです。内容に関するご意見ご感想がありましたら、「#こだわりらいふ」をつけたツイートや、Substack内のコメントまでお願いします。