がっちりマンデー出演に至るまでの裏話
生きることにこだわりを。魚住惇です。
12月10日朝7時半からのテレビ番組「がっちりマンデー!!」にHHKBが紹介されました。しかも、ユーザー代表として、魚住が出演しました。
(がっちりマンデー !! 12月10日放送より引用)
やっと、やっと放送された。収録日が11月だったので、かなり待ったんですよ放送を。
放送までに、というか、収録までに、これまた紆余曲折ありました。それでも、どうしても、僕はテレビに出たかった。
今回は、ご縁あってテレビ出演の話をいただいてから、実際に収録が実現するまでのこだわりについて、お話ししたいと思います。
がっちりマンデー出演に至るまでの裏話
まずこのテレビ放送のためのインタビュー収録のお話は、PFU販売推進統括部長の山口さんよりいただきました。
PFU山口さんからの電話
山口さんはHHKB Studio発売日に行われた、HHKBユーザーミートアップVol.7にて、最初の挨拶を担当された方です。
HHKBユーザーミートアップ Vol.7が開催! HHKBEER片手にHHKB Studioの開発秘話から活用術まで大盛り上がり|PFU
連絡があったのは11月2日の夜のこと。僕はちょうど、帰路についているところでした。11月3日金曜日が文化の日だったので、「明日から三連休かぁ。今週も働いたなぁ」なんて考えながら車を運転していました。
そんな時、山口さんから「通話でお話ししたいことがある」という旨のメッセージをいただき、慌てて途中のドラッグストアの駐車場に車を停めました。
そこで通話して伺った話が、テレビ番組の取材の件でした。
まず僕が答えたのは、”是非お受けしたい”ということ。もうこれは絶対にやりたい。どうしても話を通したい。そればっかりが頭の中に広がりました。
ただし僕は教育公務員。勝手にテレビ出演をして良いはずがありません。なので通話を切った後に、すぐに学校に残っていらした教頭先生に連絡しました。
この時点での教頭先生からの返答は、「月曜日に校長先生らと協議しないと結論は出せない」ということ。ごもっともな回答でした。一人の管理職だけではこの件は判断がつかない。これは仕方ないなと思いました。
しかしこの時すでに、撮影の日程の候補が翌週の7日か9日のどちらかだという話でした。7日は翌週の火曜日、9日は木曜日です。
月曜日に審議して、7日だとしたら、間に合うのか?
それに、11月7日は愛知県高等学校情報科研究会が実施される日で、僕も役員としての仕事が割り振られていた日。どうしよう。テレビ撮影が急遽入ったので、役員の仕事ができませんって言うのか?それも他の先生方に迷惑がかかってしまう。
もう一度言います。僕としては、絶対にこの話を通したい。しかし、管理職は月曜日にならないと判断できない。
僕のモヤモヤは最高潮でした。もうダメ。居ても立ってもいられない。ひとまずドラッグストアでエナドリを買って、飲みながら帰りました。さらに大興奮。この時エナドリを買ったのは失敗だった。すぐに飲むんじゃなかった。あああ。
帰宅して、まずゆかさんからお叱りを受けました。
「”今から帰るね”と連絡があってから、かなり時間が経っている。どういうことか。」
ゆかさん、それはごめん。でも、緊急事態だ。それどころじゃなかったんだ。どうか話を聞いてほしい。テレビ出演の依頼が来たんだ。その打ち合わせをしてたんだよ。
ゆかさん「えーーーーーーーーー!!!!!」
「で、許可は?」
ゆかさん鋭い。許可はまだ出てない。月曜日に管理職の先生方で話し合うって聞いた。
2人で思ったのは、この三連休、どう過ごせば良いんだということばっかりでした。
もやもやしっぱなしの三連休
僕の心筆ノートも大荒れでした。
書いても書いてもおさまらない、全然。この不安。きっときっと兼職兼業手続を取ることになるだろう。でも、9日までに教育委員会から許可が降りるのか?
そもそも、この話が通るのか?通らないなんて、絶対に嫌だ。
もし僕が私立高校の教員だったら、きっと学校の宣伝にもなるだろうし、通るに違いない。
DX本にも書いた、3年前のことが頭を過りました。もしダメだったら、また僕は、出る杭として打たれるんだろうか。
ダメだと判断される理由は、ウェディングケーキにキーボードを乗せたからという理由でテレビに出るからだろうか。
もしダメだとしたら、自分がこれまでやってきたこと、ブログ、出版、全てに関わる。HHKBエバンジェリストも続けられないかもしれない。
退職を覚悟しました。僕のこの生き方、ネットでの顔があり、学校でも働き、相互作用によって成り立っている自分が、兼職兼業手続が通らないなんてことになったら。
もう今後、こういった話を受けてはならないことにも繋がるわけです。
なんでだ。e-messe kanazawaでだって、PFU社のブースで講演したじゃないか。私立大学の卒研にゲスト講師として登壇もしたじゃないか。これが良くてテレビがダメなら、それこそ整合性が取れないぞ。
もしダメな理由がテレビだからとか言われたら、僕はもう、愛知県教育委員会の下で働くなんて、無理だ。
そんなことばかり考えていました。
それでも、なんとか話を通したかったので、山口さんにお願いして、依頼文書の作成を依頼しました。もし必要になったら、すぐ出せるようにです。
それと、ダメだった場合、退職して、それから非常勤講師かどこかで働かなければ。ゆかさんは今育休中だから、家計に迷惑をかけるわけにはいかない。私学も含めて、非常勤講師で募集しているところなどを探しました。
山口さんには「絶対に通る方向で動きますので」と言いながらも、冷や汗だらだらの三連休でした。生きた心地がしませんでした。
運命が決まる月曜日
まず、朝早く出勤して、山口さんからメッセージで送ってもらった概要についての文章を印刷して、管理職の先生の渡しました。
教頭先生らに、普段あまりしないであろう判断をしていただくので、何度も頭を下げました。
そのまま1限の授業に突入。演習の途中で山口さんから依頼文書が届いたので、授業が終わってから確認して印刷しました。
印刷をしていたところで教頭先生が僕のところにやってきて、「兼職兼業の手続をしましょう。依頼文をメーカーの方に作ってもらってください。」と話されました。
待ってたぜ、この瞬間を!!
その場ですぐに依頼文を見せました。PFU社の広報の方に週末に依頼して、月曜出社の際に一番に作ってもらうようお願いした甲斐がありました。
それからすぐに、管理職の先生と教育委員会とのやりとりが始まりました。撮影候補日は9日木曜日だと伝えたのであと3日です。
普通に文書の決済を待っていたのでは間に合いません。もうそこからは、教頭先生と県教委との電話連絡です。
そして夕方になって、教頭先生から「県教委からの要望が3つある」と伺いました。
無報酬であること
所属を明かさないこと
学校では撮影しないこと
公務員として、特定のメーカーの製品の宣伝になる行為をしてはならない。ましてや、報酬ももらってはならない。学校名も出してはならない。そんな意向が伝えられました。
いやでも、ブログは?これまでの講演は?気になったのでそれも聞いてみました。
すると今回のポイントは、情報が伝わる範囲だという話が聞けました。がっちりマンデー!!は全国放送なので、限られた会場や、検索でヒットするネット記事よりも、広範囲に情報を広める。
そこが企業展のブースやブログで発言するよりも、情報を受け取る人の数の規模が違うことが、兼職兼業手続を行ったとしても受ける条件として加えられたと言うことでした。
流石は教育委員会。僕のこれまでの兼職兼業の状況やブログなどを見た上での判断。
この条件を山口さんに連絡して、合意していただきました。かなり無理矢理ですけどね。話がかなり進んで動いてしまっている中で、今更ひっくり返せません。
県教委も日程が迫っている中で、早急に結論を出すしかなかった。このスピードで各所が協議し動いてくださったわけです。
話が前後してしまいますが、僕からは管理職の先生に、3つ全ての条件を受け入れますと話しておいて、PFU側にはどうしてもこの3つの条件を受け入れないと許可が降りないと話しました。
兼職兼業の手続きに限らず、お役所というのは許可を出す際に条件を提示するものです。中には許可を求める側の人が無茶だと思う内容もあります。
人と人とのやりとりなので、申請者を諦めさせるために、強引な条件を提示する場合だって考えられます。DX本にも書いたように、「全ての先生がOKだったら導入してもいいよ」と言われたこともありました。
見極めが必要です。3つの条件が、無理な内容かどうか。
僕は今回の条件は、そこまで無茶な条件には思えませんでした。内容について教頭先生ともお話ししましたが、外部の方からご意見をいただく際に、どうしたら守ることができるのかに焦点が当てられたそうです。
この話を聞いた時、これはもう今後のことを考えて、受け入れるしかないなと納得しました。
自分はテレビに出たいとしか考えてなかった。その裏で、これだけ協議を重ねて、やり取りをしてくださった。そう考えるだけで涙が出そうになりました。
収録当日の木曜日
月曜日の話から、急に3日後の当日の話に飛んだことに、驚いたことでしょう。
火曜日は研究会で1日出張でしたし、水曜日にはこの件の進展を管理職の先生から伺うことがありませんでした。本当に空白の2日間でした。
条件を受け入れるということは既に伝えてあるので、あとは許可が降りるのを待つだけだったんです。
そして木曜日の朝、管理職の先生から、「兼職兼業手続が通りました」という報告を受けました。もう何回頭を下げたことか。
こちらが収録の様子。この状況を一言で言うなら、ひたすら眩しかった。撮影用のライトの光が。
ディスプレイの光量もMAX出ないと映像に映らないという話だったので、全部あげました。普段は明るさ0です。
アパート暮らしなので、隣の部屋でゆかさんと2人の子どもは待機してました。僕はというと、ピンマイクをジャケットにつけただけで大興奮。
そして撮影スタート。2人のカメラマンさんが指パッチンをしてインタビューがスタートしました。
なんていうかね、リポーターの方はとにかく質問が上手い。僕がいかに変態なことを言いやすいかを理解した上で、色々と質問してくれました。その流れに従って答える感じです。
そして全ての撮影が終わって、上の子と一緒にキーボードを触る絵もついでに撮るかという話になり、そんな場面も撮っていました。まさかこれが採用されるとはね。
あの30秒に、多くの人が関わった
30秒でした。僕の出演時間。貴重な体験でした。30秒だけでも全国放送で魚住惇が流れた。
今回、PFUの山口さんからの連絡から始まって、何も手につかない3連休を過ごして、週明けからは管理職の先生と教育委員会とのやりとり。そして無事撮影を終えることができました。
この30秒のために、本当に多くの方が関わってくださったんだというのを、振り返ることで改めて実感しました。特に管理職の先生がここまで動いてくださったのも本当に感謝感謝で、この御恩、この方達のためだったらどれだけでも働いてお返しします。
管理職の先生方からの働きかけがあって、教育委員会が許可をしてくださった。これも関わってくださった方たちが、この話を通すことを前提に進めてくださったことが大きかったと思います。これからも愛知県の教育の発展のために、職務に従事しますよ。
撮影が終わってから放送日を迎えるまでも本当に長かった。その間にインフルにかかるわ、期末考査もあったわ。保育園のはっぴょうかいもあるわで、待ち遠しいながらも忙しい毎日でした。放送前日なんて、緊張してあまり寝られませんでした。
30秒、短い時間でしたが確かな実績として、次にはもっと良い話があったらいいなぁなんて思っています。できれば今度はキーボードのウェディングケーキの人として、本の著者として、もちょっと長く出たいものです。
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