仕事を趣味と思えない人に教師という職業を楽しむのは難しい
生きることにこだわりを。魚住惇です。 今回もちょっとしたこだわりに、お付き合いください。
田中まさおさん(仮名)による埼玉教員訴訟で思うこと
まずは時事ネタから。
こちらのツイートが発端となって、10月1日、これを書いている4日前は、Twitterの教員界隈は荒れに荒れていました。
まず、学校の先生が日頃からやっている仕事の内容は色々あるわけですが、大まかに分類するとこんな感じです。
授業
クラス経営
分掌
部活動
学校行事当日の係など
全員の先生が関わるのが「授業」です。そして担任や副担任の先生なら「クラス経営」、そして全員の先生がどこかしらに入っている「分掌」、あとは部活動。他はまぁ、普段にはないイレギュラーな仕事です。
学校で働いたことがない方だと、「分掌」っていう言葉だったり、そもそもこの漢字変換も珍しいなって感じると思います。分掌とは一言で言うと部署みたいなものです。生徒指導や図書、保健など、分野ごとに別れていて、それぞれが役割を担うことで学校が運営されています。
数多くある仕事があるわけですが、今回の裁判で話題となったのは、校長先生が教員に対して命ずる仕事と、そうでない仕事と分けた上で、「そうでない仕事」、つまり先生が必要性を感じ自発的に取り組んだ仕事に対しては残業代を支払わないという判決が出たことでした。
更に、Twitterで話題となった文章では、「最低限授業準備に必要と認められる限度でこれを認定すべきところ、その時間としては、1コマにつき5分間と認めるのが相当である。」の部分でした。
この部分を見て憤慨される先生方がTwitterで相次ぎました。「5分で授業の準備が終わるわけないじゃねーか!」という怒りです。
例えば、良い授業をしたくて、念入りに準備をしたいとしましょう。その分野について教科書以上の知識を得たくて関連書籍などを購入して読み、プレゼンテーションアプリでスライドを作ったとしましょう。生徒に配布するプリントも真っ白の状態から立派なものを作り上げました。 それでも今回の裁判で言えば、認められるのは5分というわけです。
ここで争いが起こるわけです。この授業のためにこれだけの準備をして、それに時間がかかったのだから、その準備の時間も労働だと思えてきます。だって良い授業をやるために働いたのですから。それが認められないと、逆に良い授業ができなくなるじゃないかと言いたくなる気持ちもまぁわかります。
ただね、僕自身の考えとしては、全てを認めるのは違うんじゃないかと思っています。これをそのままTwitterで発言すると、それこそ人でなしと言われてしまう可能性があるので、ここだけに書きます。
大学時代のTAの話
僕は大学時代にTA(TeachingAssistant)という組織に所属していました。トラブル相談対応が主な業務でしたが、組織内の研修というプロジェクトがあり、スライドの作成だったり、資料の準備を研修を行う前までにやっていました。
授業の補助であれば授業の時間分の時間給がもらえるんですが、研修の準備となると話が違いました。組織の経理を担当されていた大学の職員の方に、研修会の準備を勤務として報告するわけですが、報告して良いのは「スライドの編集をした実作業時間と、資料の印刷やとじ込み作業、本番のためのリハーサル」に限定されていました。つまり、スライドを作ると言っても、実質的には内容を熟知している人が慣れた手つきでスライドを作成するのにかかる時間のみが勤務時間として申請できて、「どんな内容にしようかな」と考えたり、良いものを作ろうとして調べ物を行う時間は申請できなかったのです。
理由は、人によって差が出てしまう部分だからと聞きました。 その研修の内容にかなり詳しい人がスライドを作成するとなると、その人の頭の中である程度のシナリオが出来上がり、スライドが出来上がっていきます。場合によっては、過去に作成したスライドの一部を流用して作ることもあります。 反対に、初めて担当する分野なので本を買います。勉強します。スライドを作るにしても、あーでもないこーでもないと真っ白なスライドの画面で考え込みました。っていう場合もあります。
この2つの例えを比較すると、下手したら知識もスキルもない方が長時間作業を行ったことになるので、作業時間を元に給与を計算するとおかしなことになるわけです。 この経験を元にして考えると、今回の裁判で出てきた5分という時間、まぁ時間そのものは確かに短いなとも思えますが、個人的にはこの考え方そのものには概ね理解できました。
良い授業を行うために長時間の準備が必要だったとしても、その準備に必要な時間そのものは各教員の知識や教養や経験のレベルに応じて異なるからです。
あとこれは『教師のiPad仕事術』にも書きましたが、長時間働いたり、疲れている時ってのは仕事の効率が本当に悪い状態です。特に睡眠を取らずに作業をしていると、作業しているつもりが、意識としては睡魔と戦うことにほとんどのリソースを持っていかれることが全然起こります。
知的労働と呼んでも良いと思える教師の仕事は、時間をかけたからといって良いものが必ずできるわけではない以上、それに対して学校長から命令することは違うっていう考え方です。
流石に5分は短いと思いますけどね、それでも過去に勉強した単元だったり、得意分野の授業であれば、5分かからずに準備できるものもあります。それを考えると、「5分」と言う表現にだけ気を取られて本質を見失ってしまうことは、非常に残念だと僕は思います。
仕事を趣味と思えない人に教師という職業を楽しむのは難しい
っていうかですね、個人的にはもう答えが夏休みに出てたんですよ。 僕は生徒が出校しない夏休みの期間を、情報科の勉強をなんでもやって良い素晴らしい時間だと捉えてました。本を読んでもいいし、受験問題を解いてもいい、プログラムを組んでも良い。僕にとって情報科で扱う内容そのものが趣味の延長線上だったので、勤務時間が楽しい楽しい趣味の時間のような感覚でした。
部活の指導も楽しいし、授業で自分の専門分野について子どもたちに考えさせるのも楽しい。 コロナ禍における体温管理だって、集計するためのFormを作ったり、担任の先生方がExcelを開きやすいようにSharePointにまとめる作業だって、僕にとっては楽しい行動のうちの一つでした。
それでいて、今はもうすぐ2歳を迎える子どもと、妻のゆかさんが家で僕の帰りを待ってくれているので、遅くとも18時半までには退勤します。定時で帰る日もありますが、あまり定時にこだわりすぎてもあれなので、その日のうちにできるキリの良い部分まで作業してから帰るようにしています。
以前もどこかのタイミングで「どうして自分は人よりも仕事を楽しめているのか」っていうことについて考えたかもしれませんが、僕自身が、仕事のことを労働と感じていないことが一番の要因なんだろうなぁと思っています。
僕が教師の仕事を、仕事として認識はしているけれども労働とまでは思っていない理由として、自発的に仕事をしているからだということが考えられます。
例えば、書類のホッチキス留め作業や、書類の差し込み作業を手作業でやるとなると、僕はきっと、労働だと思うかもしれません。でも僕が実際にやっているのは機器のトラブル対応だったり、動画編集だったり、自分の教科について勉強することです。これらは、仕事とは思えるんですけど、労働と思ったことはありません。その行動について、自分の意思があるか、納得しているかどうかがポイントです。
改めて思います。教師という仕事は、仕事を生活の一部だと感じ、むしろ趣味の一環だとさえ思えるほど出ないと、楽しむこと自体が難しい。 それが教師という仕事なんだと思います。
LEG稲沢キックオフイベントを10月23日20時より開催します
Twitterでも告知しましたが、10月23日の夜に、LEG稲沢のキックオフイベントを行います。
DiscordにZoomのURLを貼ったので、興味のある方はまずDiscordに参加してみてください。
10月5日の時点で9人まで増えました。僕としてはもうちょい人数のある組織にしたいと考えています。 ロイロノートについて自由に語る場が欲しくて、愛知県に1個もないのなら、自分が作ってしまえ!と思って作ったLEG稲沢です。ロイロを使ってみたいという方も、既にロイロを活用している方も、ぜひご参加ください。愛知県外からの参加も歓迎しています。 LEG稲沢用にロイロノートのアカウントを作成する権限もいただけたので、実際に勤務校でロイロを使っていない先生方も参加OKです。
ちなみに完全な余談ですが、LEG稲沢DiscordのiPadチャンネルに色々とiPadについて書いているので、それが目当て&ロイロも使ってみたいという方も、ぜひご参加ください。
ここにもDiscordリンクを貼っておきますね。
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