テーマを決めたフリーライティング
生きることにこだわりを。魚住惇です。 今回もちょっとしたこだわりに、お付き合いください。
テーマを決めたフリーライティング
ピーター・エルボーさんが提唱したフリーライティングというのは、確かテーマを決めずに、思ったことを思うままに書くんだと記憶しています。
いやね、ここ最近、原稿を書かなければならない仕事を多く引き受けてしまいまして。その時の、お仕事の依頼を頂いたことそのものは大変うれしいんですが、このnewsletterもありブログもあり、加えてお仕事もあるとなると、結構時間が必要だなと思いまして。
僕がこうしてキーボードを叩くときというのは、書く内容がある程度決まっているときなんですよ。文体はほぼ口語に近いので、キーボードに向かって指がしゃべっているような感覚で書いています。つまり、作文というよりはお喋りに近いんです。
「これについて話そうかな」と思っている内容に沿って、指で話すわけですが、それでも話は脱線します。脱線内容は、こうして入力している最中に思いついたことです。それ以外はシナリオ通りです。
ほいで、このnewsletterは特に、テーマを決めずに1週間起こったことなどを振り返りながら書くという習慣で書いてきました。ところがここ最近、火曜日の夜までnewsletterに書く内容が決まらないという事態に見舞われていることに気づいたわけです。
水曜日には無事配信できて、あーよかったよかった。今週もこれで終わったなって思うんです。これでしばらくの間はnewsletterのことを考えなくても済むぞと。でもやっぱり、これで走るのを辞めてしまったら、また走り始めるのには時間がかかってしまう。それなら歩くことでも良いから毎日少しずつ進めた方が良いんじゃないか。とも思うのです。
そこで万年筆を使ってフリーライティングを始めるんですが、これこそはかなりの頻度で万年筆に手が伸びて、文章を書くことそのものには成功しています。ただし万年筆の書き味の話だったり、とてもnewsletterにすら載せられない内容がここんとこ多く出てきてしまって、困っていました。
ピーター・エルボーさんが提唱したフリーライティングを実践することで、これまでだったら、「あ」と原稿に必要なことも思い浮かんでいたんですよ。でもここ最近はそれ以外に思っていたり考えたりすることが増えて、なかなかnewsletterに書いたら良さそうだなと思う内容が出てこなくなりました。これをどうしようかなぁって思って。
で、調べてみると、ナタリー・ゴールドバーグさんが書いた『Writing Down the Bones: Freeing the Writer Within』では、テーマを決めてもいいし決めなくてもいいと言っていたらしいんですよ。テーマを決めてフリーライティングだけにこだわらず、テーマありでもなしでも書くことを続けることを目的とするフリーライティングを推しているようでした。
これを見たとき、そうか、テーマが自由過ぎたんだなと思って、特に何もないときにフリーライティングをしてもここ最近の自分はあまり良い文章を出したりしないもんだから、これなら逆にテーマを決めたら何か良い文章が出てくるんじゃないかと思うようになりました。
あくまでアイディア出しくらいの段階での話なので、そんなにうまく行くとは思いませんけどね。それでも脱線ばかりするくらいなら、ちゃんとテーマを決めて、それに向けて作文しないとタスクが永遠に終わらないなとも思ったのです。
そこでやってみたのが、アクセスノートブックの左端に、A4用紙を3分割した紙を貼って、そこに書かなければならないテーマの一覧を書くことでした。
この紙そのものは、Excelで作りました。これを縦線に沿って切り落として、アクセスノートブックに貼るわけです。
ひとまず今回のnewsletterでは、この手法そのもののことについて書いているので、順調だなと思いました。ただし今後、他の話題で書くとなったときに、これがその頃まで通用しているかどうかは謎です。
脱青空教室
前回の配信のタイトルは「青空教室」でした。そう、前回まではね。本当に酷かったんですよ。
実習棟という建物では、エアコンが設置されていない部屋がデフォルトです。一部のコンピュータ室にはエアコンが設置されているので、夏場はこうしたコンピュータ室の廊下側の窓をすべて開放し、廊下を冷やすことで冷気を他の部屋に送るそうです。つまり3階や4階が地獄ということには変わりはありません。
そんな中、学科主任の先生に新しい部屋を提案されました。情報科の職員室の1つ隣の部屋です。昔は電子工作室として使っていたそうなんですが、学科改変により使わなくなったらしくて、はんだごてやネジ、ドライバーなどが保管してある部屋でした。フラックスが大量にあるところに心が躍りました。
机はグループで使う大きめのものに、横には電気工事士の資格を持っている先生が取り付けたようなコンセントが備え付けてありました。これならタブレット端末を充電しながら使えます。
そして、60インチくらいの大型ディスプレイも「使ってないから」と運んでもらえました。画面全体がタッチパネルになっていて、USB-CとHDMI両方を接続すれば、Windowsの標準ドライバで認識してくれました。
状況が一変して、かなり快適な環境が整いました。
生徒用タブレットは先週には配布を終えたので、生徒の手元にあります。ただ、持ってくるのを忘れたり、充電を忘れたりで、先週の授業で全員揃うことはありませんでした。情報の授業では必ず使うからと生徒たちには念を押して、今週様子を見ています。
ああ、部屋が変わったから、また座席表を作り直さないとな。と思いつつ、同じ学科の先生方には本当に感謝しかありません。部屋を取り合うって、本来の姿としてはおかしいんですよ。僕自身もコンピュータ室でしか授業をやってこなかったという経験そのものはあるんですが、だからといって、他の先生の授業からコンピュータ室を奪いたいわけではありません。
それでも足りないものは足りないし、授業の環境として整っていないのも問題です。そんな中、どうにか折り合いをつけようとしてくれたのが本当に嬉しくて。
まさに一昨日の月曜日に新しい部屋の提案を受けて、1人で大きな机を運んでました。キャスターが付いていたので、1人でも全然大丈夫でした。椅子は工作室というか、理科室のような丸椅子で、背もたれはありません。それでも座れるので十分です。OAチェアでなくても授業は成立します。
あとはHDMI分配器などを購入できたら、それこそ各机に配信用ディスプレイが置けるんですけどね。それはまた別の話。
今日からまた、新しい形での授業が始まります。
タブレット端末というか、僕にとって、生徒が端末を持つことが当たり前の環境でこれまで授業をしてきました。というかもうね、生徒が端末を持たずに授業を受けるなんて、自分の中ではあり得ません。
平成の時代では、先生がコンピュータやタブレット端末を活用して、授業の効率化を図りました。これはもう、かなり授業をやる側としては楽になりましたし、いちいち黒板に字を書かなくても良くなりました。
でも生徒はというと、提示された内容を見るか書き写すしかありません。自分が受ける側だったらと想像すると、これももう地獄です。今でも「そのスライド、紙じゃなくてデータでくれ」って思いますから。
教材の中には、グループで話し合うようなワークショップ形式を推奨しているものがいくつもあります。というか主体的・対話的で深い学びというフレーズにぴったりな授業のほとんどがそれです。
ただし、情報を共有するとなると、例えばグループごとに模造紙でまとめたものを書いて、発表するしかありません。やめてよね。もう令和だぞ。
生徒の生産性を高めたり、生徒が作り出した成果物をいち早く共有する為には、デジタルが不可欠というわけです。僕は既に、この感覚がデフォルトでした。
だからこそ、今回の異動で使えるコンピュータ室もないし、1年生はタブレットが配られるまで何もできないという状況からのスタートに、かなりのストレスを感じていました。
前任校の頃は1年生でもコンピュータ室が使えていましたので、むしろタブレット端末が来る前の練習だといって、あれやこれやと授業で教え込みました。そこからのタブレット端末の配布だったので、子どもたちは「あーコンピュータ室で使ったこれね」という感じにちゃちゃっと使いこなすようになっていきました。
タッチタイピングが可能な生徒を多数育て上げることはできなかったものの、コンピュータそのものを使うことや、各種教育系アプリの使い方などは僕自身が一挙に引き受けていたこともあって、全体の底上げには寄与できたんじゃないかと思っています。
新しい環境では未だにコンピュータ室なしの、タブレット端末頼みの環境。そして授業は1クラスを半分に分割した方式をとっているので、僕が学年全体に一律に影響を与えるのは難しいかもしれません。
そんな中でも、なるべく多くの生徒たちのために、良い環境を作りたい。学校の予算はそのためにあると信じたい。
今回のnewsletterは以上となります。青空教室は脱したものの、まだまだ奮闘してます。 「いいね」を押していただけるとうれしいです。内容に関するご意見ご感想がありましたら、「#こだわりらいふ」をつけたツイートや、Substack内のコメントまでお願いします。