教育実習時代の思い出話
生きることにこだわりを。魚住惇です。 今回もちょっとしたこだわりに、お付き合いください。
勤務校で教育実習が始まる
今週の月曜日から、勤務校で教育実習が始まりました。
Twitterでも書きましたが、実習生の教科は「情報」です。僕の教科です。もう、それだけで感動してます。
僕がこれだけ毎日楽しく働くことができているのも、情報という教科があるからです。授業をやっていても楽しいし、部活動でラズパイをいじっていても楽しいし、デザインを考えるのも楽しいし、動画を編集しているときだって楽しい。グラフを読むのだって楽しい。
僕が全部楽しいと思っている内容全てが、教科「情報」でやっていることです。
そんな、僕が大好きな教科の先生になりたいっていう大学生が、勤務校に来るですって?
ワクワクしないはずがありません。
早速ですが、学校で使っているGIGAスクール系サービス「ロイロノート」のアカウントを発行して渡しました。授業で使ってもらおうと思っています。
魚住の教育実習時代の思い出話~教育実習打ち合わせ編~
勤務校での教育実習はまだまだ始まったばかりなので、ここでは少しだけ、魚住の教育実習時代の思い出話に付き合っていただきたいと思います。
国公立大学と私立大学で、教育実習に行く時期が違うようですが、僕は私立大学出身なので、大学4年生の6月頃に教育実習に行きました。
でも教育実習に関する事前の打ち合わせは、その1年前に行われます。つまり大学3年生の頃に、一度は教育実習先に伺うわけです。
ほとんどの場合、自分が高校時代を過ごした母校に教育実習に行きます。小中学校の場合は逆に、自分が通っていた学校ではない学校で実習するようです。
僕も例外なく母校を希望し、打ち合わせの日に向かったのでした。
が、打ち合わせの開始時間に間に合いませんでした。つまり遅刻しました。 言い訳かもしれませんが、その日は朝からスーツを着てたんですよ。打ち合わせは15時からだったので、午前中だけ大学にいて、正午に大学を出発したら間に合う計算でした。
自宅から大学まで車で2時間。正午に大学を出発したら14時に到着するはずです。自宅から母校までは車で15分なので、余裕だと考えていました。
ところが渋滞に渋滞が続き、15時を過ぎてしまったのです。自宅にも寄らずに母校に直行したのに。
母校の会議室に入ると、顔見知りの同級生らが座っていました。僕が椅子に座ったあたりで、打ち合わせそのものが終わり、みんな帰っていきました。
そこで、会議室にいた教育実習担当の先生に、こう言われたのです。
「あなたは本校で教育実習を行うことができません。ただし、他に受け入れてくれる学校はこちらで探しますから、また連絡を待っていてください。」
ぎょえええええ、まじかよおおおおお。3時間かけて車を運転した結果がこれかよおおお。
それでも遅刻は遅刻です。時間を戻すことはできません。これはもう、受け入れるしかない。
1週間程経ったある日、母校から電話がありました。「●●高校での受け入れが決まりました。●月●日に打ち合わせがあるので、次は間に合うように行ってください。」と。
そこで聞いた●●高校とは、地元でも有名な底辺校でした。偏差値が低く、定員が割れて、どんなに低い成績の生徒でも入学してしまう。そういう学校のことを、愛知県では「困難校」と呼びます。指導が困難な生徒が多くて、退学する生徒も多いような学校のことです。
僕が通っていた母校は、そこそこの偏差値で、一応進学校を名乗っていた学校だったので、●●高校に行くことが決まったことが本当にショックでした。
魚住の教育実習時代の思い出話~教育実習本番編~
そして大学4年生の6月に、その●●高校での教育実習が始まりました。
もう、どうしようどうしよう。ヤンキーにからまれたらどうしよう。頭の中はそればっかりでした。
自分が担当するクラスに入ってみると、早速女子生徒に話しかけられました。
女子生徒「あ!教育実習の先生じゃん~!何歳?」
俺「大学4年だで、21歳だよ」
女子生徒「まじで!?うちらためため~!」
俺「へ!?同い年?嘘でしょどんだけ留年してんの笑」
女子生徒「なわけ~、まじうける~」
俺「」
帰りたい
それが無理ならどこかに籠りたい。この会話、どこで間違えたんだろう。最初からやり直したい。リセットボタンどこ。
ため、つまり同い年だと言われた時には、底辺校だし、留年してるのかもって考えが浮かんだんですよ。もしそれが本当だとしたら、何かしらの配慮だって必要だし、なんて声をかけて良いのか。なんて考えが頭の中に浮かんで、とっさに出た言葉でした。
なんかもう、最初の会話だけでどっと疲れました。
しかし、そんな生徒だけではありませんでした。僕が担当したクラスは情報系の科目を多く履修している生徒がいるクラスで、特に荒れているクラスでもなく真面目な子が多いクラスだったということが、実習を通して分かってきました。
ただ、僕が過ごしてきた母校とは人間層が違うなっていう場面が本当に多くて、「あぁ、やんちゃな生徒が多い学校っていうのは、こういう感じなんだな」と思えることが立て続けに起こりました。
特に多かったのが、正門に他校の生徒が原付を乗り回しながらやってきた時の、出動です。
教頭先生が他の先生からの電話に出て、「え!正門に!?分かりました。男性の先生~!、それと教育実習生の先生も!ちょっと怖い顔をしながら正門に向かってください~!」
おお、こんなこと、母校では一切無かったぞ。目つきを鋭くしながら、正門要員の人数の足しに、自分もなるんだな。
その後も、正門に退学した生徒が良からぬ仲間を連れて来ていた時に、そばにいて怖い顔をする要員をやりました。その事態を解決するのは正規の先生の役割だったので、いるだけなんですけどね。
要はNPCです。感情を表に出すことはなかったけど、これはこれで結構楽しい。
そして、人というのは違った環境にも慣れていくもので、教育実習の2週間のうち、1週間を過ぎたあたりでは、その学校の雰囲気にも慣れてきたものでした。
生徒が何か奇抜なことを言ってきたとしても「あーはいはい」くらいの雰囲気で対応できたりして、心にも余裕ができてきました。クラスの生徒の名前も段々と覚えてきて、結構楽しめていました。
最後の日には、集合写真を撮ったり、プレゼントを貰ったりして、なんか良くある良い感じにまとまって終わりました。ありきたりかもしれませんが、結構それが、その後に教職に就きたいと強く思える原動力になりました。教育実習あるあるですけどね。
教育実習で得たもの
母校での教育実習が叶わず底辺高で2週間過ごすことになったわけですが、そこで得たもので、今でも経験として生きているものが結構あります。
まず言えるのが、自分の人生で関わることのなかったクラスターの人たちと関わったこと。底辺高と呼ばれる高校に通う生徒らです。
あまり良い言い方ではありませんが、彼ら彼女らは、駅のホームに座り込んだり、コンビニの出入り口にたむろしたり、当時はDQNと呼ばれるような人間層でした。
進学校の生徒なら、なるべく関わらないようにしようと思うような集団です。僕自身も、なるべくそういった人たちとは関わらないようにして、平穏な生活を送ってきました。
それが教育実習生として、そういう生徒が多く集まる学校に2週間通ってみると、これまで抱いていた嫌悪感が、かなり薄っぺらいものに感じるようになりました。時に、この子たちはこの子たちなりに考えているんだって思い知らされる場面に遭遇することも多かったです。
見る目が変わったというか、なんとなくの雰囲気で毛嫌いしていた自分が急に恥ずかしくなりました。その人のことを何も知らないのに、無条件で見下すことの、なんと愚かなことか。
後に教員採用試験に合格して、最初に赴任した学校の偏差値が割と困難校レベルだったので、教育実習で得たこの感覚が、大いに役立つことになりました。流石に正門にやばいのが来るなんて時代ではありませんでしたけどね。今でも、目の前の生徒がどんな生徒であっても、割と愛着をもって接しています。
それと、教育実習時代に教科の指導をしてくださった先生とは、研究会で定期的にお会いしてます。愛知県の情報の教員が少ないって言う話は度々していますが、何かと同じメンバーで会う機会が多々あるので、みなさん顔見知り以上の存在です。コロナ前では年に1回は飲み会もありました。
狭い世間なので、教育実習でお世話になった先生と再会する機会が、割と早くやってきます。それが今にも繋がっているので、ご縁を感じます。
母校の教育実習の打ち合わせに遅刻したことそのものは、自分にとっての失態だったことは間違いありません。それを言えば、愛知教育大学に進学できなかったのも、受験においては失敗です。教員採用試験だって、講師6年目にしてようやく合格しました。普通に国公立の教育学部がある大学に進学して、教員採用試験を一発合格した先生と比べると、かなり回り道な人生です。
それでも、情報の教員でありながら福祉の知識と経験があり、教育実習は、今思えば教師の王道人生では味わえなかったものだと思っています。自分の人生にとって、必要な大事な要素です。
スケジュールで言ったらたったの2週間ですが、教育実習の2週間で得たものは、今でも僕の中ではここまで大きな存在で、自分を構成しているうちの大切な一部となっています。
他にも、元々同じ勤務校で働いていた先生で、教員免許さえ取得できたらいいやという軽い気持ちで教育実習に行ったら、めちゃくちゃ楽しすぎて教職の魅力にハマってしまい、そのまま教員採用試験を受けて合格するまで頑張ったっていう方もいらっしゃいます。
人生、何が起こるか本当にわからないものです。
これだけ人の人生に影響を与えることを身をもって経験してきた僕が、今では教育実習の指導教官です。
自分が教育実習時代に得られた経験や感動体験レベルのことを、演出できるだろうか。貴重な体験とやらの機会を設定できるだろうか。
今週は、自分の教育実習時代を思い出しつつ、未来の同僚と過ごしています。
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