生きることにこだわりを。魚住惇です。 今回もちょっとしたこだわりに、お付き合いください。
息子に自分の夢を押し付けることは良いことなのか
今年の夏休みから始めた、息子へのウルトラマン教育。現在もとっても順調に進んでいます。
初代ウルトラマン、ウルトラセブン、ウルトラマン80まで見たあとで、ゼロが初登場する映画を見せて、他の映画も見せました。現在は、時間のある時に、ウルトラマンAの履修を進めつつ、昭和ウルトラマンに限らず他のシリーズも見せています。
令和になって放送しているウルトラマンの現在は、僕が認識する限り2系統あって、
平成ウルトラマンを模倣した令和ウルトラマンシリーズと、昭和ウルトラマンの息子シリーズが進行しているようです。
平成ウルトラマンといえば、ティガ、ダイナ、ガイア、コスモス、メビウスと続くシリーズです。
これが今、ウルトラマントリガー、ウルトラマンデッカーと続いています。トリガーに変身するためのアイテムを見る限り、ありゃどう見てもティガにそっくりな作り。デッカーの変身アイテムも、見た目はほぼそのままダイナを踏襲しているようにしか見えません。
しかも物語中で主人公たちは、宇宙人と一緒に防衛組織に所属しており、その宇宙人はペガッサ星人やメトロン星人の姿をしています。これはもう、ウルトラセブンファンのお父さんやおじいちゃんにも見てほしいと言わんばかりのファンサービスです。
そして昭和ウルトラマンの息子シリーズでは、最初にウルトラセブンの息子、ウルトラマンゼロが登場し、劇中では光の国でのウルトラマンたちの生活が描かれていました。
その息子シリーズでは、2019年にウルトラマンタロウの息子として、ウルトラマンタイガが登場しました。ゼロが初登場した映画、「大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE」が放映されたのが2009年なので、あれから10年経って2人目の息子としてタイガが登場したということです。
父親世代となった昭和ウルトラマンシリーズの戦士たちは、皆赤いマントをまとって登場します。いわばレジェンド的存在です。この辺りの設定や描写が昭和ウルトラマンを見て育った世代にドンピシャで、ウルトラマンは世代を超えて楽しめるコンテンツになっているのです。
個人的に最高なのが、セブンの息子であるゼロの格闘の稽古を、ウルトラマンレオがつけているところですね。かつてウルトラセブンがレオの師匠として登場し、一人前に成長させる物語を見せてくれました。そのレオとアストラが、セブンの息子であるゼロに正義の心と戦い方を説いている姿を見ると、込み上げてくるものがあります。
ここまでを子どもに理解してもらうためには、ウルトラセブンとウルトラマンレオを見てから、ウルトラマンゼロを見る必要があります。そこまでを3歳の息子に求めるのはちょっと厳しそうです。
今となっては、車の中でウルトラマンシリーズの主題歌を流すと口ずさんでくれる可愛い息子。
そんなウルトラマンに夢中になってくれている子どもの姿を見て、思うところが出てきました。それが今回語りたいテーマです。
ここまで親の色に染めてしまって、良かったんだろうか
自分が得た幸せを、子どもにも味わって欲しいと思うからこそ、自分が歩んだ道を再び歩ませようとする。それをやると正解だとわかっているからですよね。少なくとも自分が生きてきた中では。
逆に、自分が失敗したことで得た教訓を活かして、同じ失敗をしないように教えることもあります。これもまた、今の自分が思う中で、これが正解だとわかっていることを先に伝える行為です。こうすることで、同じように失敗することで感じる悲しい思いを、子どもにさせないように回避することができるわけですから。
歌舞伎役者が代々自分の子どもに受け継がせるという世襲制のようなスタイルをとっていますが、そこに子ども自身の主体性はあるんでしょうか。
いや、そもそも主体性とは何を指すんでしょう。考えれば考えるほど、この世にはっきりとした主体性があるなんてこと、言えるんだろうかと疑問に思います。
例えば将来の夢は、自分がどこかで接したことがある職業か、どこかで得た職業の情報から選択することがほとんどです。その子の置かれた環境や人生の中で出会った人間関係に大きく左右されます。
子どもに多種多様な習い事をさせる理由には、教養を身につけさせたいのとは別に、とにかくいろんなことにチャレンジさせて、その子の素質を見極めるという目的も含まれることがあります。
今回の話で言うと、僕は自分自身がウルトラマンが大好きで育ったもんだから、自分が好きなものを子どもと一緒に見たいという感情の通りに行動しました。これは言ってしまえば、親のエゴです。
結果として、これまで見たことがない見た目の巨人が、怪獣と呼ばれる不気味ででかいやつを倒しているので、子供の目には魅力的に映ってくれたようでした。
ウルトラマンではなくアンパンマンだったらもう少し平和だったか?
話は少し脱線しますが、ウルトラマンを子どもに見せたことによる弊害もあって、パンチやキックを親に向かって繰り出すようになってきました。もちろんごっこ遊びの一環ですけどね。
たまに思います。これがアンパンマンだったら、どんなに平和だっただろうかと。
アンパンマンがばいきんまんに向かってアンパンチをすることが、暴力を助長するのではないかという論調の記事が2019年に話題になりました。
「アンパンチ」が暴力的!? 漫画の“表現自粛”懸念も… 江川達也氏「滅菌した世界ほど世の中は甘くない」 | 国内 | ABEMA TIMES
僕から言わせてみれば、悪事を働くばいきんまんに対して「やめるんだばいきんまん!」と言葉での主張を行い、それでも状況が変わらなかったので仕方なく場面から退場してもらう。ただそれだけのことにしか見えません。
アンパンチとは、ばいきんまんに対する暴力ではなく、UFOと一緒にばいきんまんを遠くに追いやることで、被害を受けている二足歩行動物と距離を取らせる行為だと僕は思っています。
なのでアンパンチは目的ではなく手段。彼がパンチ、つまり打撃を行う際には、手順を踏んだ上での手段だというわけです。
では、ウルトラマンが怪獣に対して行う攻撃はどう捉えるか。初代ウルトラマンは”子どもにもわかりやすいプロレス”としてテレビで放送されました。その影響で、子どもたちがウルトラマンごっこに夢中になれば、誰かが誰かにパンチやキックをお見舞いすることになります。
遠距離攻撃はごっこ遊びにおいて、直接相手に危害が及ぶことはない安心安全な技です。親としては助かりますが、劇中ではスペシウム光線によって怪獣は簡単に爆ぜるし、八つ裂き光輪という無惨な名前が付けられた必殺技もあります。(八つ裂き光輪は後に”ウルトラスラッシュ”に改名されました)
ウルトラマンも試行錯誤を続ける
ただし、すべてのウルトラマンが、すべての怪獣を暴力や光線で解決したわけではありません。夏休み中に配信したnewsletterでも語りましたが、例えばウルトラマン80は、怪獣が出現する理由がマイナスエネルギーが原因だという設定でした。
人の心が不安定な時にマイナスエネルギーが出てしまうことから、ウルトラマン80は人間の姿で教員免許を取得し、思春期で心が不安定な時期の子どもが集まる中学校の教師として働くことを決意しました。
マイナスエネルギーの元に干渉すれば、怪獣が生まれる頻度が下がるのではないかという推測からの行動だったのです。
ウルトラマンごっこで親やお友達にパンチはキックを喰らわせたとしても、いつかはこうした演出に触れることで、「暴力が全てを解決する万能薬」ではないことを学ぶ機会となります。
また、ウルトラセブンは、作中では何度も地球を侵略しようとする宇宙人に遭遇し、その度に和平を提案してきました。
僕は決して、光の巨人がいて、悪い怪獣を倒してくれているんだということを、子どもに信じ込ませたいわけではありません。
ウルトラマンに夢中になる子どもには、是非そこまで読み取ってもらい、多面的なものの見方や考え方を養ってほしい。時間がかかっても、その段階まで理解をして欲しいと願っています。
主体性を目標とした、第一段階としての洗脳
もしこれがアンパンマンやウルトラマンではなく、宗教上存在する神様の話だとしたら。その神話に出てくる神様を無条件に好きになってくれる子どもの出来上がり。まさしく洗脳です。宗教の二世信者に仕上がるでしょう。
現代の交通インフラを子どもの憧れの存在にしつつ、玩具にしているプラレールやトミカも何ら変わりません。
絵本『ノンタン!サンタクロースだよ』では、ノンタンがクリスマスプレゼントとして赤い自動車を欲し、サンタさんにお願いしに行く描写から始まります。動物が仲良く暮らす中で自動車など走ってもいないのに、欲するプレゼントはどことなく現代に合わせています。大人目線で内容を見ると、子どもはこういうものが好きでしょ欲しいでしょと言われているようにも感じます。
話が二転三転と脱線しながらあれこれと考えてみましたが、結局のところ、子どもが抱く夢や目標は、大人の誰かが見せた輝かしい世界の一部だと思うようになりました。そしてそれを初めて見た子どもにとっては、それがその世界の全てです。
この文章を書いているうちに、一つの答えに辿り着きました。「入りはそんな感じで大丈夫で、いずれはそれが世界の一部であることを説明すれば良いんじゃないか」という考え方です。
親として、自分が見せられる限りの多種多様な世界を子どもに見せていくのも、いつか自立して社会に生きてもらいたいからです。学校で勉強を教えている趣旨も同じです。
何も考えずに自分が好きなものを押し付けるのではなく、少なくとも親として、ここに書いたようなことを自覚することが必要なのではないか。
良くも悪くも僕自身がきっかけを作ったこと、一緒に楽しむようになったことで、ウルトラマンはカッコいいという感情を定着させてしまったわけですからね。
現時点では親のエゴで、ただ自分の色に染めただけ。次の段階としては、それが世界の一部であることを伝え、広い視点を持たせるステップが待っています。
第一段階としてサンタクロースがいるという夢を見せ、第二段階としてサンタクロースが親だった事に気づき、第三段階として自分がサンタクロースとなって子どもに夢を見せる。そんなサンタクロースの循環にも同じことが言えると思います。
ウルトラマンを子どもと一緒に見るようになったたことで、僕自身もあれこれ考えるきっかけになりました。
決して今のままで終わらないように、魚住はこれからも子どもに寄り添いながら、走り続けます。
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「入りはそんな感じで大丈夫で、いずれはそれが世界の一部であることを説明すれば良いんじゃないか」
ニュースレターを読ませていただき、上記の部分に、それでいいかもと思いました。
最近ブレンパワードというアニメを見ているのですが、親の思いを子どもに負わせることについてがテーマの一つになっていて、それをきっかけに、自分の中でも、気になっていることだったので、タイミングよく記事に触れることができてよかったです。