対3歳児にも理解と納得を
生きることにこだわりを。魚住惇です。 今回もちょっとしたこだわりに、お付き合いください。
対3歳児にも理解と納得を
今回のお話は、育児というか、息子に関するお話です。
息子を見ていると、幼少期の自分を見ているようです。本当に。
近頃は、ウルトラマンの変身する時に出る音を聞いて、どのウルトラマンが変身したのかがわかるようになってきました。
この特技が芽生え始めたのは、ウルトラマンの主題歌を聴いて、どのウルトラマンのうたなのかを当てるようになってきた頃からです。妻のゆかさんからは、「早くそれを動画に撮ってバズらせろ」と急かす声が絶えませんが、息子はそんな焦りを横目にウルトラマンの知識をどんどん吸収してくれています。
この前なんて、初代ウルトラマンを図鑑で見ていたら、「あれ、このウルトラマンと、このウルトラマン、ちがう」と言い出しました。よくぞ気がついたぞ息子よ。初代マンのマスクはABCの3タイプあり、放送時期によって作り替えられてきたのだ。
ここまで物分かりがいいと、本当にいろんなことに気がつくもので、先日、おもちゃの片付ける場所の模様替えをしているときにも、気づいたことを言うようになりました。
そうあれは、クリスマスを迎えて我が家にもサンタさんからのプレゼントが贈られたときのこと。
まず息子がトミカやプラレールに興味を示してくれたのが、昨年のこと。今後を見込んでくれたサンタさんは、昨年にはトミカとプラレールが一緒に遊べる踏切と駅が合体したものをプレゼントしてくれました。
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そして今年1年間息子の様子を見ていて、どうも次の可能性をプラレールよりもトミカに見出していたので、今年はサンタさんにはトミカに使える何かをお願いすることにしました。
今回サンタさんに届けてもらったのがこちら。
昨年に引き続き、割と大きなおもちゃです。
今住んでいるアパートでは、リビングにおもちゃの収納スペースを設けて、そこに子どもが遊んでいるおもちゃを片付けるようにしています。棚などはニトリで揃えました。
ニトリの2段カラーボックスで子供用おもちゃ棚を作った – さおとめらいふ
ですがここまで大型のおもちゃが増えてくると、さすがに収納場所を考えないといけないなと思ったのです。
ただこれが、後にトラブルの元になりそうになったんですよ。
これ、ここじゃない、ちがう
子どもが保育園に行っている間に、ゆかさんがおもちゃの選別を行っていました。押し入れに片付けるものと、リビングの収納棚に入れておくものとを改めて分けて、息子の記憶にも薄いおもちゃは、できれば押し入れに入れておいて、あわよくば忘れ去ってほしいと思っていました。
模様替えが終わって、やがて子どもが保育園から帰ってくると、真っ先に気づいたんですよ。
「あれ、これ、ここじゃない、ちがう。ふみきりはここ!」 「これも、ここじゃない、こっち!」
なんと息子は、元々の配置を覚えていて、そっちに戻すべきだと主張し始めたのです。そこまで細かく覚えているなんて!と正直驚きました。てっきり、その場所にそのおもちゃがあるから、そこから手に取って遊んでいるだけだと思っていました。
侮ってはいけないな。場所を把握していたのか。その場所を、勝手に親が変えてしまった。
あるあるかもしれませんが、僕はこの"親が良かれと思ってやった行動で、子どもが悲しい思いをした"ということに、良い思い出がありません。僕の母親もこだわりが強く、ぶつかることが多々ありました。こだわりが強い人間にとって、自分のプライベートな空間が望まないこだわりによって支配されるのは、本当に地獄です。
自分たちが良かれと思ってやったことが、子どものこだわりを無碍にして、傷つけてしまっているのかもしれない。自分が親にやられた仕打ちを、今度は自分がやるようになってしまったのか。
そう思うと、一歩間違えたら、子どもがとても悲しい思いをすることをやってしまっていたのか。しかもこっちはそれを良いことだと思って。
そんな連鎖を繰り返してはダメだ。そう思ったのでした。
でも、おもちゃの配置換えは、子どもが一番遊びそうなおもちゃを、合理的な配置に変えるという親心から実行に至ったものです。僕やゆかさんだけのこだわりでもなければ、ただの好みというわけでもありません。思いつきでやったわけではないんです。
ここまで違いがわかり、違和感を主張できるのなら、こちらの言い分も聞いてくれるのではないかと思いました。
ちょっと試しに、説明してみよう。
父「いっちゃん、勝手におもちゃを片付ける場所を変えちゃってごめんね。このおもちゃをさ、ここに入れるとさ、いっちゃんが遊ぶ時に、出しやすいと思ったんだよ。踏切もここじゃなかったね。でもここに置くようにすると、出しやすいし、片付けやすいよ。これからは、ここに片付けるようにしよう。」
いっちゃん「うん」
通じた。ちょっと浮かない顔をしていましたけど、話が通じました。3才でも、全てじゃなくても、通じるものは通じるのかと感心しました。
僕が話た内容は大きく分けて2つです。まずは勝手におもちゃに触れてしまったことに対しての謝罪です。これをしないと、いくら合理的な判断をしたとしても、受け入れてもらえないんじゃないかと気を遣いました。
その後に、僕らが出した結論がいかに合理的なのかを説明しました。もしこの意見が合理的で理にかなっているのなら、子どもだって受け入れてくれるはずだと思ったのです。
結果は、「うん」という返事の元に、納得してくれた様子でした。初めて新しい配置を見た時は、おもちゃを元の場所に戻そうと運び出すのに必死な様子でしたが、そうしたそぶりも説明の後は見なくなりました。
旦那が大事にしていたコレクションを奥さんが黙ってゴミに出した。子どもが大切にしていたものを親が勝手に捨てていた。世の中にはこうした不幸が度々話題になります。処分する方に悪意がなく、むしろ良いことをしてやったんだと感謝を求めてくる話もあるので、話が余計にややこしくなります。そんなニュースを見るたびに、バカだなぁなんて思っていました。
自分がバカだなぁと思っていた行動に近いことを、自分がやることになってしまっていたのか。そう思えてなりませんでした。
息子は、本当に僕の幼少期と同じような考え方だったり、好みだったりするので、ついつい自分と重ねてしまいます。自分が子どもの頃に、親からやられて嫌だったことを、この子には絶対にやりたくない。親からの仕打ち、僕は今でも結構覚えています。一歩間違えたら子どもが大人になっても覚えているような不幸な出来事を、嫌な思いを散々してきた僕が作るわけにはいかない。
そう考えて行動したとしても、無意識のうちに、やってしまうものなのかというのも、今回の発見でした。
何事も、相談をしながら進めていくことが大事なんだということが、学べた気がします。家族だとしても、超えちゃいけないラインがある。例えそれが3歳児だとしてもです。
プレゼンと説得
いかに判断が合理的なのか、これを論拠の説得すれば、きっとわかってくれるはずだ。お父さんは学びました。学んだからには、応用したいと思うものです。
ちょうど、月曜日の朝に、試みたことがありました。
我が息子、3才の誕生日を迎えてもなお、おむつが取れません。ズボンもオムツも1人で脱げるようになり、おしっこをした程度なら、もう自分で下半身だけ裸になってくれるようになりました。まだ履く時は手伝いますけどね。
そんな息子が朝、「うんちでるー」と言いながら踏ん張っていました。仕草でも十分わかりますが、いつか来るトイレトレーニングの練習のために、出そうなら出ると言うようになってもらいました。トイレには行きたくないようで、「でるのー」と言いながらその場で出しますけどね。
そして最近じゃ、うんちの時には僕にオムツを交換させてもらえなくなりました。僕がオムツを交換んしようとすると、「おとーしゃん、いやだ。おかあしゃんがいい!おかあしゃあああああん!」となるので厄介です。
しかしゆかさんの朝は忙しく、朝食の準備や弁当の準備をしてくださっています。当然食事の用意とオムツ交換は並行してできません。
よーし、ここはこの前学んだ、合理的な説得というのをやってみるぞ。
そう思い、前回の教訓を活かそうと試みました。
父「いっちゃん、お母さん今、いっちゃんのご飯を作ってくれていて、忙しいから、お父さんが変えよう。お父さんがオムツを変えている間に、お母さんがご飯を作った方が、オムツを変えた後すぐに、朝ごはんが食べられるよ。」
すると息子は、しばらく考えてからこう答えました。
いっちゃん「あさごはんいらん、おなかすいてない」
ガーーーーン
わかります?僕が必死に組み立てた論理を、一発で崩したんですよ。お母さんがご飯を作ってくれている間に、お父さんがオムツを交換すれば、同時並行に作業が進み、オムツの交換が終わる頃には朝ごはんが食卓に並んでいる。そういう手筈でした。
しかし、息子としては、そもそもお父さんにオムツを交換して欲しくないので、その気持ちを「あさごはんいらん」という言葉で表現したのです。
結局はゆかさんがこの後オムツを交換してくれてからの朝食となったわけですが、息子はパンもヨーグルトも食べていました。本当にお腹が空いていないわけではないということです。
つまり、理由こそわからないものの、お父さんにオムツを交換して欲しくないという思いを、"朝食がすぐにはいらない"という発言に乗せて、合理的な提案を退けたと言うことです。
オムツを交換させてもらえなかったことで、僕が育児の役に立てないことにももちろんショックでした。ですがそれよりも、年齢の割には高度なテクニックを使って、父親の提案を理由付きで却下するという行動に、僕は感動してしまいました。
3才って、ここまで考えて発言することができるものなのか。僕が考えている以上に、子どもというのは色々と考えているんだな。
まだ息子は、「なんで?」や「どうして?」という理由を聞くような問いには答えることができません。これがわかるようになれば、「なぜなぜ期」がやってくると言われているので、僕は楽しみにしています。
幼少期を思い出すと、母親に「なんで?」や「どうして?」と疑問を投げても、「なんでも!」とか「どうしても!」と怒鳴られるだけのことが多くて、ずっとモヤモヤしていた記憶が強く残っています。
自分の子どもには、そんな思いを絶対にさせたくありません。自分が嫌だと思ってきたことを、子どもにやらない。歴史を繰り返さない。
そう思いながら過ごす年末年始の冬休み。また一緒にウルトラマンを見る日々が続きそうです。
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