生きることにこだわりを。魚住惇です。 今回もちょっとしたこだわりに、お付き合いください。
餌の飼育って難しい
カマキリの飼育を始めてからしばらく経ちます。ここ最近になってカメムシが近所で発生しているらしく、住んでいるアパートの外の蛍光灯に止まっていたりします。それを捕獲しカマキリに与えるのが日課です。
ところがこれだと、狩猟採集生活と同じです。Society5.0に例えると、まだバージョン1の時代を生きているのと一緒。これでは餌にありつけない場合はカマキリの死につながります。それならば、こちらである程度の量の餌をストックできる方が、毎日狩猟しなくても住むわけです。ほら、バージョンが上がりそう。
というわけで、ここ最近、虫かごをもう1個買い足して、餌用のバッタを飼育することにしました。Youtubeを見てみるとバッタの飼育は比較的簡単らしく、虫かごの中に適当に草を置き、霧吹きで水分を与えておくだけで良いそうです。調子に乗って、バッタを10匹ほど捕獲して虫かごに入れました。
ところがね、カマキリがなかなか食べてくれなかったり、与える前に死んでしまったバッタがいたりと、割と苦戦気味です。これがカブトムシとかだったらさ、おがくず敷いて昆虫ゼリーを置くだけで良かったのに。餌の虫まで考えるとなると意外と難しいなぁって思うようになりました。自然界もこんな感じなんだろうか。
そして妻のゆかさんからは、そろそろ飼育をやめても良いんじゃないかという提案もありました。そりゃそうですよね。虫かごが増えたことを考えると、このままだと僕が虫のブリーダーになってしまうかもしれない。爬虫類なんかに手を出したらそれこそ一大事だ。となるわけです。
カマキリが死んでしまったら、今シーズンの飼育は終了です。一応ここにも宣言しときます。次男くんがね、割と良いリアクションをしてくれるんですよ。将来一緒に昆虫採集に出掛けてみたいところです。
物の拡散と収束
新たな万年筆、キングプロフィットSTを購入してから、ウハウハが止まりません。未だに使い続けているアクセスノートブックは23冊目を迎え、既に30ページ使いました。ペン先が紙の上のインクを滑るように移動する様ま、まるでフィギュアスケートです。
そこから自分の書き味の好みの方向性がより理解できて、それに見合わない万年筆は手放そうと思うようになりました。最初に購入した金ペンはペリカンのスーベレーンM400。思い出の品とも呼べそうですが、ここ最近はインクを入れていなくて干からびていました。
データとは違い、物は空間を必要とし、増えてくると圧迫します。また、ここ最近は物を所有するという感覚から、使っている自分に対して投資を行うような感覚へと、僕自身の考え方が変わってきたようにも思えています。
例えばスマホや車は、今や中古で手放すことが前提で、その差額を支払うことで新しい端末を使うという考え方がだいぶ浸透してきた感じがします。となると、突き詰めた話、その生活を送るのにお金を払っていく感覚に代用できます。まさにカーライフコスト。まぁこの考え方がそのまま万年筆にも当てはまるかどうかはさておき、この考え方は割とミニマリスト的な考えなのかもなと思ったのでした。
多くの場合、車は1台のみ所有しています。用途によって複数台分けるという話はあまり聞きません。きっと単価が高いからでしょうか。複数台所有するということは、家に例えると別荘だったりします。そういう特殊な人たちは一旦横においといて、高価な物というのは普通は1台のみを所有するものという感覚は割と一般的だと思います。
でもこれが万年筆だとどうでしょう。僕は、どこまで増やしてしまったんだろうか。引き返せないところまで、来てしまったんじゃないだろうか。しかもまだ、理想を追い求める中で沼に迷い込んでしまっている。これをどうにかしたいと常々考えていました。
思考法として、拡散的思考法と、収束的思考法という単語を聞いたことがあります。拡散というのがアイデア出しのような行為で、広がったアイデアを1つの方向性に収束していくことで、成果物が出来上がる。ずっと拡散するわけにも、収束するわけでもなく、時に広がり、時に狭まることで解決していく。問題解決の分野にも似たような手法があったりもします。
そんなことを考えていたら、きっと僕の万年筆人生は、拡散してばっかりだったんじゃないかと気づきました。あっちの沼、こっちの沼、多くの沼を体験していながら、その中で自分の好みというものに、まだ気づけていなかった。そのうち、これはこの沼の中では大切な存在だからとか、適当に理由をつけて、収束することを先延ばししていたんじゃないかとも思えてきました。
ここからは、収束フェーズに入りたいと思いました。そしてできれば2~3本に絞ったうえで、それぞれを趣向の変化とともに乗り換えていくことで、うまく運用できるのではないかと思ったのです。
というわけでね、キングプロフィットSTはもう一軍入り。あとはペリカンのスーベレーンシリーズをどうするのか。M800が2本あるのは明らかにおかしいからどちらか手放します。M1000はちょっと迷うところがあります。最近149が気になっていますがそれはまた別の話です。
キーボードは持ってるもの全部必要です。あれはいくつあっても良いからね。むしろ新居では壁に飾りたい。
コレクションできるものはコレクションする方向で。経済的に困難だったり、時間の経過とともに実用が困難なものは、拡散した後で収束する方向で。
パソコンにも同じことが言えそうです。使っていないラズパイがゴロゴロ転がっていますから。
まだ正式に決まったわけではありませんが、来るべき新居への引っ越しに向けて、そろそろ物を減らそうと考えるようになりました。
使っていないものは一度捨てるなり中古市場に放流するとして、まずは家の中をスッキリさせる。もしまた必要なものがあれば、その時買えばいい。
よくそんな言葉を耳にしますが、これがまた本当に難しい。万年筆はもう、手放す覚悟ができつつあるのであとは作業を行うだけですが、これをこれまで大切にしていたもの全てに当てはめようとすると、尚更難しい。
断捨離はまるでダイエットのように、続けるのが難しそうです。
iPad Proをあまり使わなくなった
では最後にiPadの話を。そういえばちょうど配信日に、iPad miniが発表されましたね。
miniは第3世代までは買い続けていました。大きさがちょうど良くて軽い。ちなみに初代は3万円くらいで買えた記憶があります。
学校で配備された新しいSurfaceを使い始めてから、僕はびっくりするほどiPad Proを使わなくなりました。使う場面といえば、iPhoneの延長線上のことくらい。
強いていえばGoodNotesはめちゃくちゃ使います。Obsidianを使うときも。でもObsidianだってSurfaceとも同期できているので、そのうち使わなくなるかもしれません。
僕がどれだけ個人デバイスで仕事をしていたのかを、ある意味で思い知ることになりました。
個人デバイスといえば、私物として机の上に置いているScanSnapも、使い方の見直しを迫られています。配備されたSurfaceでは個人のOneDriveにアクセスできません。Dropboxもだめ。
ブラウザからはアクセスできるものの、アプリをインストールしても通信が許可されていません。もうこうなるとお手上げです。ScanSnap HomeをSurfaceにインストールして、USBで接続するしかありません。
人はその時々の環境によって、必要な物も、デバイスも変わっていきます。生活スタイルによって変化します。学校での環境が変わり、iPhoneも新しくなり、僕にもそんな瞬間が訪れました。
いやでも、流石にiPad Proがなくなったら、困るぞ。
あぁ、今自分が所持している物やPCの設定内容を、データベースとかで管理したい。何か良い方法はないかしら。
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