出会いたかった先生になりたい
生きることにこだわりを。魚住惇です。
人は過去の経験を、どのように活かすのでしょう。少なくとも自分の場合は、同じ失敗を繰り返さないように気をつけます。もちろん限度はあって、何度気をつけても失敗し続けるのなら、それはそれで他の解決方法を探します。人生ってこれの繰り返しです。
これは仕事では教師としての立ち振る舞い、プライベートでは育児にも同じことが言えます。
「この人に出会ってから人生が変わった」と思える人がいたり、逆に「出会いたくなかったと心の底から思える人」という人もいます。
出会いたくなかった人のことも、人生全体から見れば結果として出会えて良かったと考えられるかもしれません。今こうして自分が仕事をして、人並みの幸せを噛み締めて生きているのは、人との出会いの中から良いところを真似してみたり、良くない部分は同じことをしないように暮らしてきたからだと思っています。
今回はそんな、ちょっとした内面でのこだわりのお話です。どうかお付き合いください。
反面教師
両親には育ててくれたことは感謝しています。ただ、一緒に暮らしてきた中で、どうしても理不尽だなと感じが部分は多々あります。おそらく読者の方も少なからず何かあるはず。
僕の親は、とにかく自分のこだわりを押し付ける人でした。あぁ、多分僕は母親似です。ただ自分と違うなと思うのは、そのこだわりの中身についてだと思っています。とにかく中身がなかった。相手を納得させるほどの中身が。僕だって「なるほど、確かにそれはよいこだわりだ」と思ったところなら吸収しました。でもほとんどの内容はこだわりだけが強く、理由を聞いても答えてくれないことばかりでした。
僕自身が言葉に対して情報源やエビデンスを重要視するようになったのは、この体験が原点だったりします。その意見は誰が思いついたのか、誰かが話していた内容なのか、それとも本に書いてあったのか。それは信頼できる情報なのか。年齢が上がり、他者とのコミュニケーションの量が増えるにつれて、家庭で言い聞かされている内容が世の中と乖離していることに気づいてからは、だいぶ気を遣うようになりました。
今、自分が子ども2人の親になったことで、幾度となく幼少期を振り返るようになりました。子どもの成長のたびに、自分が同じくらいの年齢だったころのことを思い出します。あぁ、ターボレンジャーのおもちゃを買ってもらったなぁとか、ウルトラマンのビデオを毎週のようにレンタルしてきてくれたなぁとかね。感謝している面は、そのまま継承したい。だって今の自分だって覚えているから。
でも納得できなかったり、子どもだった当時、やられて本当に嫌だったなと思えることは、自分の子どもにはやらないようにしています。過去の教訓を活かして、大声を出すときは子どもの行動を止めるときだけで、特に怪我や命の危険につながるようなときだけというのを心がけています。それでも長男からは「またお父さんに怒られた」とか言われるので誤解を解くのに必死です。
小さい頃の記憶というのは特に嫌だったことを中心に覚えているものなので、どうしても反面教師的な部分だけが強く印象に残っていて、それが今の「ああいう親にはなりたくないな」と思いながら理想を目指す行動につながるようになりました。
大学入学までコンピュータの師匠に出会わなかった
実家にあったワープロを触ってみたのが小学生時代、中学生の頃には父親がWindows95のパソコンを中古で買ってきたので、それをいじる生活をしていました。OSのインストールだって自分でやりました。Windows2000評価版のインストールも実験的にやりました。
高校は進学校に進学したまま、勉強せずにコンピュータを独学で触る毎日。しかもプログラミングをやるとかでもなく、ひたすらゲーム。ブログを書き始めたのもこの頃でした。あとは掲示板でケータイの裏技などを投稿したり、友人らとWindowsメッセンジャーやSkypeに明け暮れる毎日でした。
当時は今と違って、大学に入るには一般入試が主流で、とにかく勉強しないと大学には入学できませんでした。結果、僕は第一志望の大学は不合格、滑り止めだと考えていた大学も不合格。唯一合格した大学に入学しました。
普通さ、学校の先生になるような人って、それなりに勉強ができて、目の前のことに集中して努力することができて、生徒会なんかやっちゃって。そういう明るく真面目な性格の持ち主だと思うんですよ。僕なんてドッチボールは端っこで逃げる役でしたいつも。
それでも自分が学校の先生になりたいと思ったのは、小学4年生の時に出会った担任の先生に憧れたから。担任の先生が変わるとこうもクラスの雰囲気が変わり、自分自身が明るく過ごせるようになるのかと思い知りました。これは良い出会いにカウントしました。
学校の先生になりたいと僕が強く思うようになったのは、自分が学校の先生になれば、ひょっとしたら自分と同じ境遇の生徒を救えるかもしれないと思ったから。普通に過ごしていて、学校生活が楽しいと思えるならもうそれで十分じゃないですか。でもそこからはみ出たような、自分を重ねてしまうような生徒の気持ちに素で寄り添えるような存在がいたとしたら、もっと学校が楽しくなると思うんですよ。
人生を振り返ると、心が尊敬できる大人は何人もいました。学校の先生を志す身として先生という立場の人たちを見てきたので、良いなと思える中で自分に出来ることを取り入れてきたつもりです。
ただどうしても巡り会えなかった部分。コンピュータに長けた先生という存在に出会うことがなかったのが、唯一の心残りでした。自分にとっては身近にあることが当たり前で、シャットダウンなんかせず常に起動していて、ずっと目の前にある。そのコンピュータのことを使えばするけども、仕組みを教えられるレベルの人に出会ったのは大学に入学してからでした。
正直、ゲーミングPCがここまで流行るとは思いませんでしたし、大好きなコンピュータがスマホとなり、中高生がほぼ1人1台持つ時代がくるなんで、予想もしませんでしたけどね。少なくともガラケーのような連絡専用端末が普及するものとばかり思っていました。
だから、コンピュータを教える先生になりたいなって思ったんですよ。先生とは先を生きる者。自分よりも先に生まれて勉強や経験を重ねている尊敬できる人。大学に入ってからは、どうやったらこの先生の教えている内容を、パソコンが苦手な人に教えられるんだろうとか、分かりやすく説明できるんだろうとか、授業の度に考えていました。
出会いたかった先生になりたい
反面教師な大人を見る度に、「ああいう大人にはなりたくない」と思えるのと同時に、こういう大人になりたいという思いも同時に考えるようになりました。そして自分の人生の中で「こういう人と出会いたかった」という人物像も徐々に固まりました。
「コンピュータを教える高校の先生」
でも困ったことに、自分が憧れているはずの高校のコンピュータの先生とやらに、出会ったことがありません。つまり憧れの人という人物像がない分、目指してもゴールがないこと。「僕はあの人のようになりたい」という目標があれば、その人のようになるというのがゴールだと思うんですが、それがありません。自分が出会いたかったと思える先生になりたいと思うようになったとて、それがどんな先生なのかは僕にもわかりませんでした。
「こんな大人にはなりたくない」という幼少期からの苦い経験から来る反面教師的なブラックリスト。その中身を増やし続けていけば、きっと自分がなりたくない大人にはならないはず。ずっとそう思いながら過ごしてきました。
そんな中、先週金曜日にめちゃくちゃ嬉しい出来事がありました。教え子が国公立大学に合格しました。しかも総合型で。推薦入試と違って自分のこれまでの学びを認めてもらうためにアピールすることが求められる総合型は、ここ数年で特に熱い入試制度です。
その大学の総合型選抜では、事前審査の書類を提出した後、高大連携授業を受けてから面接を受けるというスケジュールが組まれていました。しかもその生徒が受験した学部は授業内で実技テストも課されました。内容はプログラミングです。
学力のみで、一般入試で受かるのは本当にすごいことだと思います。学力に勝るものはない。でも総合型選抜では学力以外の要素、才能面が評価されます。学校の成績にはなかなか出てこない部分です。ただ、磨かれない才能がいくらあっても無理。才能が才能と呼べるようになるためには、結局は努力を積み重ねる必要が出てきます。
バチっと、円が3つ重なったベン図が出来上がった気がしました。
まだ見ぬ、良いなと思える大人になりたい
コンピュータの先生がいたら人生変わった
そしてもう一つの要素、努力を積み重ねたら光りそうな才能の原石を持った生徒が、目の前にいる。
めちゃくちゃ磨きました。本人と一緒に。死に物狂いで。2年半かけて。必死についてきてくれた。感謝しかありません。
もし自分が高校時代にコンピュータの先生に出会っていたら、もっと未来が変わっていただろうか。そう思いながら関わりました。結果、僕自身がかつて不合格だった大学に、憧れの大学に合格してくれた。ありがとう。もう自分の夢のリベンジを果たした気分です。
自分のかつての夢を押し付けるわけではありませんが、たまたま出会ってくれた生徒が、過去の自分の夢を叶えてくれて、本当に嬉しかったんですよ。それにもっと嬉しかったのは、情報の先生になりたいと思ってくれたこと。全ての生徒のコンピュータ嫌いを無くしたわけじゃない。むしろコンピュータ嫌いを助長したかもしれない。
でもそんな中で、少しでも教師として働くことが良いなって思ってくれたことが、嬉しかった。今はほら、ブラックだの、定額働かせ放題だの、散々な言われ方をしているじゃないですか。学校の先生って。こうした風潮の中で、純粋にコンピュータを教えることの楽しさをわかってくれた。自分もそうなりたいと思ってくれた。
ちなみに、全ての生徒にプログラミングを押し付けているわけじゃないんですよ。現在の1・2年生でプログラミングを重点的にやらせているのは3人です。その中で、大学が認めてくれるほどの実力を、その生徒は高校在学中に身につけてくれました。
感無量です。これだけのコンプレックスの塊とも思える自分が関わったことで、勤務校では超レアな進路に送り出すことができました。総合学科ってね、こういうことがあるから面白いんですよね。ひょっとしたらその生徒が別の進学校に進学して勉強に明け暮れていたら、その才能を見落としてしまうかもしれません。
僕が関わることで、少しでも人生が良い方向へ変わってくれた。そんな嬉しいことが起こって、ようやく過去の自分も納得してくれたような気がします。大丈夫だ。20年後に、自分の教え子が進学するからな。
自分にこだわりがあることで、人に迷惑をかけたこともあります。無理に押し付けて、嫌な思いをさせてしまったことも。
でも今回のことで、自分のこだわりが、どう活用したら人が喜んでくれるのか。それが分かってきました。
これまでの教科では測れなかった、コンピュータに夢中になれる素質を持つ生徒を見つけ出して、然るべき進路に導くこと。高校時代にいなかった存在。精一杯その役割を果たして、同じ未来を作ってくれる仲間を増やしたい。日本に絶望することなく、希望を抱きながら、コンピュータとともに生き生きと暮らしてくれる人になって欲しい。
これだからこの職業はやめられません。子どもたちと関わっていく中で、これからもダイヤの原石とも呼べる存在を見つけて、一緒に勉強していきたい。こうした人生を送ることで、かつての自分も十分納得するのではないかと思っています。
「魚住先生に会えてよかった。」
なんて思ってくれる生徒が1人でも増えますように。
今回のnewsletterは以上となります。理想像を目指していたら、少しずつ結果が出てきたんじゃないかと思える瞬間のお話でした。 「いいね」を押していただけるとうれしいです。内容に関するご意見ご感想がありましたら、「#こだわりらいふ」をつけたツイートや、Substack内のコメントまでお願いします。