若い先生に運動部を押し付けるべき?
生きることにこだわりを。魚住惇です。
3月も半ばに入り、もう来年度が始まるまで半月ほどしかなくなってきました。
学校現場ではそろそろ来年度に新規採用の先生が入ってくるとか、どの先生がどの学校に異動になったとか、そういう人事が決まり始める頃に差し掛かります。※地域によって差があります
東海地方では中日新聞が周辺の自治体の人事異動についてまとめていて、「先生サーチ」という検索サイトを公開していたりします。この辺りは僕のXでは毎年話題にしていること。
今回は、自分が異動するしないに関わらず、この時期になるとぼんやり考えてしまうことをここに書き留めていこうと思います。ちょっとしたこだわりに、どうかお付き合いください。
魚住はこうして運動部を経験した
まずは僕の部活動顧問の遍歴から。
2009〜2011年:常勤講師でバスケ部主顧問
2012〜2014年:非常勤講師だったので部活もたず
2015〜2017年:初任でサッカー部主顧問
2018〜2020年:2校目で運動部の副顧問
2021〜2024年:2校目で文化部の主顧問
2025年〜現在:3校目で文化部の副顧問
ざっくりまとめるとこんな感じです。運動部も文化部も、それぞれの主顧問も副顧問も経験しました。経験っていうか、文化部の副顧問ともなると、もう部活そのものに顔を出していません。係の仕事として部員名簿くらいは作りましたが、部員が誰なのかも知りません。
僕自身の専門スポーツは、ありません。中学・高校時代は科学部や理科部に所属していました。大学時代はLinuxサーバーばっかりいじっていました。あ、知的障害者のボランティア活動などはやっていたから、福祉関係も少し。
そんな自分が常勤講師の話を受けて、まず言われたのが「バスケ部の主顧問やってくれんか?」でした。以前どこかで書いたかもしれませんが、当時の教頭先生からは「体育館におるだけでええね。な?一緒にいてやるだけでいいで。」と、とにかく「おるだけでいい」を強調され、大学卒業したばかりのペーペーには断ることもできず、名簿を見たら主顧問になっていました。土日は無くなりました。お昼休みは他校のバスケ部の先生に練習試合のお願いの電話をする時間でした。毎月4校と練習試合をするのが課されたノルマでした。
それでもね、今でも連絡が来ることがあるんですよ。一生懸命向き合って、ぶつかって、笑って泣いて喧嘩して。僕自身は嫌いなものには近づかない、苦手な作業は一生やらないと決めている性格ですが、部活動はね、楽しかったんですよ。総合的に見てね。今はもう当時と同じ熱量はかけられません。かけられなかった今だからこそ、あのがむしゃらに部活動と向き合っていたあの頃が、かけがえのない思い出になりました。
教員採用試験に合格したら、またバスケ部の主顧問をやりたい。今度は審判のライセンスだって講習会に行って、もっとバスケ界に貢献できたら。そんなことを考えていたら、「うちにはバスケ部の専門がいるからねぇ、剣道部とサッカー部のどちらがいいですか?」と聞かれました。えええ、いや、まって。頭の中では自腹で購入する道具類の合計金額を計算しました。防具はきっと高いだろう。竹刀は消耗品だ。いや、そもそも作法が厳しいと聞く。上下関係もあるだろう。バスケに近いのは、サッカーだ。そんな理由でサッカー部の主顧問を引き受けました。
これがまた、バスケとサッカーとではルールが全然違う。どちらもゴールはあるのに、思想が違う。バスケはルールから整備したスポーツで、サッカーは球蹴りに後からルールが整備されたスポーツ。そんなところからルールの違いにも興味が出て、元々顧問をされていた先生が某地元サッカー部名門校出身ということもあって練習試合だらけ。一気にサッカー漬け人生が始まりました。
サッカー部顧問人生を送った話はどこかで語ったと思うのでその副作用だけ語ります。やっぱり授業やクラス以外で生徒と向き合った分、生徒の人生に入り込みます。もうそれは授業だけやっている先生とは桁違いに、同じ釜の飯を食う関係になります。だからこを一生の思い出になるし、卒業後の関係にもつながります。
これがまた授業にも生徒指導にも良い影響があってね。自分が一生懸命顧問をしていると、生徒の見てくれていて、直接こちらが何かを言わなくても、わかってくれる。特に他の先生方からの信頼も厚くなって、部活動単位での指導体制が整っていきます。あのヤンチャな生徒も、この先生の言うことなら聞いてくれる。そんな関係が築けたらみんなが幸せです。
結婚して育児を優先するようになって、ふと気づきました。今の学校の生徒とは、自分はそんな関係にはなっていないなぁと。そりゃ1日は24時間と決まっているので、その中で優先順位があり、僕は妻と息子たちとの生活を第一に考えています。今だって、eスポーツの部活の副顧問に一応名前を載せている程度ですが、僕がどれだけゲームが好きであったとしても、家族優先は変えられません。息子たちから「ぼくよりも学校のゲームの方が大事なんだね?」なんて言われてしまったもう、親子関係としては失敗だと思うのです。
そう、僕の教員としての部活動人生においては、自分自身が学生時代にスポーツを経験していなかったからこそ、巻き込まれ型の人生を送っていたと言えます。もしも自分が学生時代に取り組んできたスポーツの種目があり、その指導者になりたいと考えて行き着いた先が教師という職業であるなら、部活動に対する考え方は全然違っていたはずです。
そうは言っても難しいんですけどね。僕の弟は中学校教諭として働いてるんですが、小学校から大学まで吹奏楽をやっていた弟は「吹奏楽部の顧問だけはやりたいと思わない」と話します。自分が1つの楽器を奏で続けたからといって、優秀な指導者になれるとも限りませんし、吹奏楽部は運動部ですから。どうしても勤務時間後の時間を自分の時間にするためには、吹奏楽部の顧問を引き受けるわけにはいきません。
結局のところ部活動顧問というのは、子どもがいない家庭、もしくは子育てがひと段落した先生によって成り立っています。あとはその先生方の専門とするスポーツがあるかどうか。専門でなくとも顧問を経験したことがあったり、経験外の種目に対して苦手意識があるかないかも関わってきます。仕事選びにも似ていますね。やりたいかやりたくないか、得意なのか苦手なのかの四象限です。多くの部活動は、やりたい種目ではないけれども苦手でもないからなという絶妙なバランスと、少しでも子どもたちのためになるならというボランティア精神で成り立っています。
老害だと思われないために
ひとまずここまでをまとめてみます。
魚住は運動部を経験した
主顧問時代は21時退勤、土日部活
部活動顧問という経験が美化されてる
現在子育て中のため第一線から退く
これはあと僕自身の性格みたいな話ですが、嫌だなと思っていたことであっても、やってみたら意外とどうにかなったり、むしろその状況を楽しめたりすることがあります。全部じゃないんですけどね。心の持ちようとも言うんでしょうか、学生時代の自分から見て、あのチャラチャラしていた人たちが所属していた王道の部活動。バスケ部とサッカー部の顧問をやってみて、僕としては楽しかったんです。
仕事の上でも、普段の教科指導がやりやすくなりました。かわいい生徒たちと過ごした時間はかけがえのないものです。自分の人生の中でも大切な存在です。ここまで良い思い出として心に刻まれているのは、その当時、全力で彼ら彼女らとぶつかったからだと思います。不器用ながらも部活動を第一に考えていましたから。実力もなく、至らないことばかりでありながらも、一生懸命にやってることだけはわかってもらえました。
さて、ここまでが魚住の「結果的に運動部の主顧問をやってみたら、意外とかけがえのない思い出になってしまった」というお話です。この経験をしたからといって、これからの時代、これから先生として働いてくれる人にこの価値観を押し付けて良いんでしょうか。これを食べたら美味しいから食べなさいって、無理やり食べさせて良いんでしょうか。
僕自身はもう家族との生活を優先したいので、定時に帰ります。それを管理職の先生にも伝えていますし、1年間それを徹底してきました。学校では魚住は定時のチャイムと同時に職員室を出る人として見られています。他の仕事も引き受けているので、キャパ的にも部活動顧問まではお願いできないなという印象が定着しています。言ってしまえば戦略がうまくいっている状態です。
ただしその分、若い先生に皺寄せがいってしまっているのも自覚しています。僕がこうして定時に帰り、我が家の夕飯の時間に間に合うように帰宅できて、家族との食事を大切にできているのは、かつて主顧問をやっていた自分のように土日などの自分の時間を生徒に捧げている若い先生の犠牲の上に成り立っています。
妻のゆかさんには本当に感謝しています。僕がサッカー部で忙しい中、電車で1時間の距離を毎週末アパートまで通ってきてくれました。交通系ICの残高がとんでもない早さでなくなっていくって当時話してくれました。これをきっかけに、サッカー部では土曜日を魚住が見て、日曜日は副顧問の先生が見るか休みにしました。
大会の時期となると大変です。自分の都合で部活を休みにできません。土日両方とも部活で終わります。サッカーだと公式試合のために引いたコートを無駄にできないので、午前中の公式試合の後に練習試合をやります。恋愛なんてしている暇はありません。ゆかさんのように、こうした生活に理解のある人じゃないと、運動部の先生が結婚するのは厳しいなと思います。
かけがえのない思い出のために、自分の人生の時間を使いプライベートをも犠牲にした。僕はね、これから先生として働いてくれる人に、そんな部活動顧問を勧められません。自分が若かった頃はそれこそ選択肢すら与えられませんでしたが、今の時代は強制する事もできないなと思うのです。
私はパンを焼きました。だから、あなたも私にパンを焼いてください。
私は誕生日プレゼントをあげました。だから、あなたも私の誕生日にはプレゼントをください。
部活動で生徒と本気でぶつかって、かけがえのない思い出ができました。だからあなたも部活動に本気になってください。
これは結果論です。誰にも当てはまることではありません。僕自身の人生において、運動部の顧問を経験することができて、結果的に良かったという1つの人生ルートに過ぎません。きっと運動部の中には、無理やり顧問を強いられたり、プライベートが犠牲になってしまい苦しんでいる先生もいるはずです。
たまたま自分が良い経験になったと美化できているだけならば、「良い経験になるからあなたも運動部をやりなさい」と言ったところで、それがその人にとって教職を辞するきっかけにもなり得る可能性だってある。だから僕は、運動部をやらせることを自分からは強制できないなと思っています。
自分の意見を通したいなら、偉くなってからね
昔、運動部ではなく文化部の顧問をやりたいと思った時期がありました。ちょうどその頃、カメラにも夢中になっていた時期で、写真部を作りたいと思いました。
多くの学校では部活動を設立するためには条件があり、最初は同好会から始まります。その同好会を作るときから顧問を担当する先生が必要です。これがまた厄介な話で。生徒が同好会を作ろうとして先生のうち誰かが引き受けてしまうと、「え?魚住先生、同好会の顧問をやる時間あるの?それって今の部活に一生懸命になってないってことだよね?」なんていう見られ方をされてしまいます。
運動部なら尚更のことで、仮に同好会の顧問になったらその分メインの部活動に顔を出せなくなります。そうなったらもう「魚住先生、自分たちよりも同好会の生徒の方が大事なんだね」なんて部員から思われてしまい、これまでの関係が崩れます。
それでも写真部を作りたいと思う生徒が増えてきたため、同好会の顧問を引き受けたことがあります。しかし僕が顧問を引き受けても、部員の人数の条件をクリアしたとしても、同好会を作ることができませんでした。当時の主任の先生には何を言っても聞いてもらえませんでした。
そしてその後の職員会議で、別の運動の種目の同好会設立の話が議題に上がりそのまま認められました。その同好会の顧問を引き受けたのはその主任の先生でした。
何それ。写真部の同好会の方が早く動いてたんじゃないの?人数だって、顧問だって揃っていたじゃないか。職員会議の最中に声を荒げても仕方ないなと思ったので、会議後の主任の先生のところへ行くと、「私だってこの部活を作りたかったんだわ。そんなに新しい部活を作りたいなら、主任代わってよ。」という話になりました。
当時は本当に悔しかったんですよ。私利私欲のために自分の話だけ表に出して、写真部の同好会の話の時には生徒会会則も出してくれなかった。自分がその部活を作りたいがために、他の同好会すら認めてくれなかったのか。偉くなってからやれってか。そんなのありかよ。
そう思っていたんですけどね。やり方は許せなくても、今思えばその先生も、自分が本当にやりたい部活動、自分の居場所を作りたかった一人なんだよなと今なら理解できます。専門ではない運動部の顧問への苦手意識は、僕にだってわかりますから。
それでも「自分の意見を通したいなら、偉くなってからね」という考え方は好きではありません。これは上から押し付けるものではなく、下っ端が身を引くために気づくものです。主任の先生が若手に言うことじゃないと思うんですよ。
今、家族を大切にできているのは、偉くなったからではありません。だから僕は、「文化部の顧問をやりたいなら、家庭を作ってからね」なんて言えません。
みんながそんな考えじゃ、学校が回らなくなる!
こういう話をしていると「みんながそんな考えじゃ、学校が回らなくなる!」という意見を聞く機会がありました。ちなみに管理職の先生ではありません。その人は「これまでみんなが苦労してきたんだから、大変だったんだから。だから新しい人にもやってもらわなきゃ!」と言うのです。
この部活動顧問が足りない問題の、根っこかもしれません。これまでみんなそういう考え方でなんとかなってきたから、これからも誰かが貧乏くじを引き続けなければならないのです。なんという泥舟的な考え方なのでしょう。
ここまで話してきた中で一番置き去りになっているのは、かつての自分とも言える、「新しく先生になってくれる人の声」そのものです。
確かに苦労した人生を送ってきた。結果的にその苦労は必要だった。でもこれから学校の先生になってくれて、今の時代に教師をやってくれるその人たちに、「俺はこれだけの苦労をしてきたんだ。だからお前らも同じ苦労をしなさい」と苦労を強制するのは、老害的な考え方だと思ったんですよ。
もちろんこの考え方を否定するつもりはありません。僕だって結果的に泥舟の歯車となり、結果的にそれが良いこととして終わりました。しかし、だからといって全ての先生が良い結果で終わるとは思えません。たまたま僕自身が時代なりに教師として経験を積むことができた。ただそれだけです。子どもたちも同じで、その行動に意思があるかが重要なのです。言われたことをただやるだけの行動に、育むべき主体性はありません。
自分の息子にも、タッチタイピングをマスターさせたいなと思ったり、一緒にガンプラを作りたいなと思ったりしますよ。それか、学生時代に運動部に入った方が自分とは違って社会性が身につくかもしれないと思って、サッカーでもやらせようかとも考えたりします。これも同じで、大切にしないといけないのは、息子の意思なんですよね。
そもそも、自分の意思を大切にするのと、全体を見て行動するのって、相反することじゃないと思うんですよ。そのバランスを考えて初めて全体が見えるのであって、個々の考え方は尊重することが原則だと思うのです。
さぁ4月の新学期が始まるまであと2週間です。僕の目の前の環境が、かつてないほど目まぐるしく変化してます。これをお読みになった先生方は、どういう考え方をお持ちですか?保護者の視点からのご意見もいただけたら嬉しいです。
今回のnewsletterは以上となります。
「いいね」を押していただけるとうれしいです。内容に関するご意見ご感想がありましたら、「#こだわりらいふ」をつけたツイートや、Substack内のコメントまでお願いします。

