学びが腹落ちする瞬間
生きることにこだわりを。魚住惇です。
今回もちょっとしたこだわりに、お付き合いください。
ドラゴンボールで泣いた理由
ここ最近、Youtubeでドラゴンボールのゲーム実教を見ることにはまっています。ゲームのタイトルは「ドラゴンボールZカカロット」で、ゲーム性はさておきストーリーを進めるシーンがアニメと同じで、見ていて飽きません。
特に印象的だったのは、魔人ブウを倒した後、悟空が初代界王神様から命をもらったことで生き返ったことを妻のチチに伝える場面です。
「そ、それじゃあまた一緒に暮らせるだか・・・!?今度は、悟飯と悟天と家族四人で・・・!!」と大号泣しながらチチが悟空に抱き着くシーン。あれを見て、僕自身も号泣してしまいました。
このシーンを初めて見たのは小学校3年生でした。その頃は魔人ブウを倒した時の元気玉のシーンが格好良いなぁなんて思っていましたが、家族ができた今となってはそこよりもチチが号泣している姿を見て、いつも家族と一緒に暮らしている幸せさと重なって僕自身が泣けてくるようになりました。
同じストーリーだとしても、時間をおいて再度触れると、1回目には気づかなかったことに着目できたり、より理解が深まるなんてことが良くあります。大人からもドラゴンボールが愛されている理由は、こうした点からくるのでしょうか。
長く生きていることで共感する部分が増えるからか、元から涙腺が弱いのに更に頻繁に涙を流すようになった気がします。あ、でも、職場ではあまり涙を流したことはありませんね。業務中は割とサイコパス気味です。
本当に欲していた情報に出会う時
これに似た話で、ここ最近また”文章が思ったように書けない病”みたいなものにかかってしまったので、Tak.さんの『書くためのアウトラインプロセッシング』などを読んでいました。他の人が文章を書くときに、どんなことを気にしながら、どんな作業を行っているのかを改めて参考にしたくて。
Amazonの購入記録だと購入したのは2022年8月です。もちろん当時だって、すぐ読み終えて、それなりに勉強になったはずなんですよ。でもそれから3年後の2025年に改めて読み終えて、以前よりも更に腹落ちした感じがしました。
人は受け取った情報が本当に心から欲していた時に「あぁ!そうだったのか!」と腹落ちします。この腹落ちするタイミングは当の本人ですら予測ができません。
刺さる人がなぜその言葉が刺さるかは、その人の経験値や人生レベルによって変わります。その理由は、過去に経験したことや今の立場によって、情報を受け取った際に自分から出てくる情報の量や質が違うからだと思います。
3年越しに、やっとTak.さんの本を読み終えた気がします。それもこれも、Podcastなどを聴いて、自分でも文章を書くようになって、書けなくて躓いて、やっと身に染みた苦労などがあったからかな。
Zettelkastenセミナーで気づいたこと
さて、6月7日にナレッジスタックセミナーに参加して、ZettelkastenとObsidianを組み合わせる方法について学んできました。
『アトミック・シンキング』実践セミナー034 動画アーカイブ - by goryugo - ナレッジスタック
ここ数ヶ月の間にObsidianでZettelkastenを実践して、更にそれをAIに読み込ませて爆速仕事術!みたいな感じの記事などを結構見かけるようになりました。
こうした記事などを読んでみると、まぁまずZettelkastenとはなんぞやみたいな話になるんですが、よく書かれているのは情報をカードに記入して番号振ってリンクさせるという感じの手法と、主なノートの種類などについてでした。
所謂カード法というと、情報整理界隈でよく話に出てくる梅棹忠夫のカード法や付箋などを使うKJ法が日本で編み出された手法です。それに対してドイツ生まれのZettelkastenはどういった手法なのか。ここが気になるところですが、なんか肝心な部分が書いてないサイトが多いんですよ。
なんか、梅棹忠夫のカード法みたいなものです!って書かれているZettelkastenの紹介記事がどうも信じられなくてね。ただ情報をリンクで管理するだけという理解なら、それは全然Zettelkastenではないよなとも思えてくるんです。
ただ、僕自身の理解がまだまだ足りていないという自覚もあるので、この時点では「自分での理解を超えているもの」としてしか扱えません。このままでは中途半端な理解に留まってしまい、上部だけの知識で終わってしまう。
というわけで、これは既に理解している人から聞いた方が早いだろうと思って、久しぶりにセミナーに参加してみました。
参加してみて、本当に良かった。Zettelkastenは、文章の断片をただリンクでつないだり並べたりするだけであっという間に文章が書けてしまうというような、魔法ではありませんでした。
大事なのは、どの部分で苦労するのかということ。Zettelkastenの場合は、文章を書いていく途中にある階層構造をどう決めて書くのか。頭を使うのはここだなというのが伝わってきました。
構造そのものはLinuxのディレクトリ構造によく似ています。一番上にルートがあり、そこからどんどんと枝に分かれていく。話が連続しているのか脱線しているのかで枝を分けるのかを考えていくわけです。分けるにしても下に分けるのか、別の枝とするのかを、自分自身が決めるところがポイントだと思いました。
ただこれも受け売りでしかないかもしれません。セミナーで得た情報は、あくまで話す人がまとめたものです。その人の理解度レベルに達するには、同じようにセミナーを開くことができるようになるしかありません。
学校での勉強も同じです。従来型の授業風景でよくある先生が黒板に書いた内容を書き写すという行為だって、その営みの中で一番知識をつけて学習できたのは先生自身なんですよね。その先生だって学ぶことから始めて、生徒たちに写させるくらいの板書を仕上げることに成功しているわけですから。
とはいえ、話を聞くだけでもこれまで以上に理解が進みました。ZettelkastenについてもWikipediaを読む限り、ニクラスルーマンは利用者の一人という位置付けで、カード法の歴史を辿ると別の人の話も多く書かれています。これも日本語で解説しているサイトだけを見ていたらZettelkasten=ニクラスルーマンみたいな印象しかなかったんですが、これはもうその話だけに留まらないんだなということがわかってきました。
そして何より、自分が興味のある分野の話をリアルタイムで聞くのと、疑問をもった時にすぐに質問できる環境が整っていると、そこで更に理解が深まる。学校現場で働いていると、こうした興味があることを勉強できる環境というのに、良さを感じます。
学校で働いていると、どうしても生徒の行動が受動的であることに気づいてしまいます。彼らが学校に来る理由の大半は登校することが決まっているからで、そこにはあまり生徒自身の意思が感じられません。むしろ遅刻や欠席をする生徒の方が意思があるんじゃないかと思うほどです。
授業を受ける理由は受けなければならないからで、勉強する理由は赤点を取りたくないからというのが大半の生徒の感覚です。職業科の授業や実習となるとまた違ってくるんですが、情報科は普通科の科目なので「お勉強」というイメージがどうしても強いため、どうしてもやらされている感が出てしまうのです。
自分たちが将来何を目指しているのか。何のために学校に通っているのか。頑張りたいことは何なのか。このあたりを子どもたちが自ら考えて、特に「何のために」の部分がクリアに見えてくると、そこからグッと成長するんですけどね。なかなかそうもいかないものです。
僕としては、自分が興味を持っている分野が話せる人の話が聞けるというのが本当に楽しい体験で、僕以外の受講者のコメントも読んでいて面白くてね。やっぱり似たようなことに興味がある人が集まる界隈に顔を出すって、めちゃくちゃ楽しいよなと思えたわけでした。
情報Ⅰの授業では今の時期は、デジタル化について教えているところです。ビットとかバイトとか、2進数などを扱っています。そういう情報の授業も僕は好きですけどね。でもそれだけではなくて、「情報」そのものをどうやって整理したり、表現するかという分野だって大好きなんですよ。
仕事をしていて自分に降りかかってくる情報をどうやって捌くのか。整理するのか。まとめるのか。表現するのか。これが仕事として行う内容だったらタスクと表現されますし、開始日時が決まっているのなら予定と言われます。長らくこうした情報を整理してきたのは手帳でした。
でもそれ以外の情報だってあるし、どうやって整理するのかというのはまだまだ発展途上です。というかこうした話は学校の授業でも触れませんし、情報の教科書にも書いていません。情報デザインとかデータベースとかやるのに、その仕組みを教えるだけで、どうやって身の回りの情報を受け止め、整理するかという話は教科書に書かれていないわけです。
僕自身は特に自分の脳内でそれらを処理するのが苦手だったので手帳に頼り、デジタルツールに頼ってきました。そうしたらZettelkastenという手法にも興味が出てきました。現時点では「大体のことはわかったけど、まだ自分の言葉では語ることができきないし、もっと調べてみたい」くらいの理解度です。わかっているのはカード法でありながらメインは発想法であり、知識の蓄積にはまた別の手法が必要だということだけです。
それでも実際に実践してみたよというお話は本当に貴重で、画面共有越しに動いているZettelkastenを見るともうウズウズしちゃって、自分でも早くやってみたいって思えるようになりました。それと同時に、カード法についてももうちょっと調べてみないと、理解が追いつかないなとも思えてきました。
趣味の勉強って、楽しいわ。ただ、セミナーで得たことをどうにか自分の中で形にするには、どうしてもそれなりの時間が必要だし、その為には子ども達が寝てくれないと取り組めない。もう少し自分の時間が欲しいなと思うのでした。
今回のnewsletterは以上となります。
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