食洗機よりも大切だったこと
生きることにこだわりを。魚住惇です。 今回もちょっとしたこだわりに、お付き合いください。
食洗機よりも大切だったこと
前回のnewsletterでは、食洗機を買うか買わないかで一悶着あったことを書きました。 配信後にはコメントもいただいて、その後結構色々ありました。
結論から言うと、購入する方向に決まりました。これがいつまたひっくり返るかわかりませんけどね。今はとりあえず、買う方向です。
僕が狙っているのはシロカのSS-MH351という型番の食器洗い乾燥機です。給水タンクに手動で水を入れるのではなく、専用バケツから水を汲み取ってくれる機能がついています。排水用バケツも用意すれば、コンセントのある場所ならどこにでも設置できる。これがアパート暮らしの自分にとっては何よりも魅力的でした。
NotePlan3やObsidianを使うようになってからは、こうした書いたいものや興味があるものについて、記録を残しながら調べるという活動が本当に捗るようになりました。
記録を取らなかった頃は、Amazonで商品情報を眺めていて、良さげなものをポチるだけだった日々。しかし家族会議でその商品を購入するに至った経緯をプレゼンすると、「それはよく考えて買ったことにはならない」と言われ続けてきました。
この「よく考えてから買う」という表現は非常に曖昧なものです。何を基準にして「よく考えた」かが、明確ではありません。僕がいくら熟考したと発言していても、それは僕自身だけの感覚で、導き出した答えによっては熟考した結果だとは思ってもらえない可能性が十分にあります。
なのでObsidianなどのテキストエディタを使うようになってからは、その商品のURLはもちろん、寸法などの選考基準などを記録するようになりました。後から記録を辿ることで、その結論に至るまでの過程を目で追えるようになり、どんな理由からその判断に繋がったのかが明確になりました。
全ての記録を見せている訳ではありませんが、仕事に例えると、ひょっとしたら後で情報開示請求されることを見越して、記録をつけながら進めるイメージです。これでもう、「また深く考えずに商品を買った」とは言わせません。
ところが今回の食洗機の件は、Obsidianだけでは解決できませんでした。
性能、設置場所、価格などを詳細に調べた上で出した結論、そして考えられる懸念事項に対する返答。全てを用意したとしても、問題が解決できなかったのです。
過程を重視すること
これでもかというくらいに調べて記録に残し、最適な解に辿り着く。以前と比べると、それができるようになった気がしています。ところがこれでも、ゆかさんは食洗機に対して納得しませんでした。
話し合いを進めていく中でわかったのが、お互いが重要だと思っている内容に違いがあるということでした。この認識がズレている限り、夫婦の溝は埋まりません。
ゆかさんは、食洗機を買うか買わないか、どの機種にするかという内容そのものは、そこまで重要ではありませんでした。どの機種にするかという結果よりも、一緒に機種を選んだり、一緒に設置場所を決めたりして、コミュニケーションをとりたかった。これに気づく前に僕自身が答えを出してしまったために、話がこじれたのです。
https://blog.ja.playstation.com/2020/03/18/20200318-psnow/ より拝借
こちらの画像を、SNSなどで見たことがある方もいらっしゃると思います。ショッピングモールでの男女の行動の差をうまく表現したものです。男性は目的の商品が売られているお店に直行し、買い物を済ませます。女性はというと、目的の商品に限らず多くの店を見て回ります。
なぜこんな非効率的な行動を女性は取るのか。
そもそもこの時のこの女性のやりたかったことは、「ズボンを買う」ではありません。ショッピングだったんです。
一昔前にこの画像を見たときは、「やっぱり女性という生き物は、非効率的なんだよなぁ」くらいにしか思っていませんでした。ただ今回の食洗機の件を振り返って、これは効率的かどうかという話ではなく、そもそも目的が違うということに気づいたのです。
ゆかさんがやりたかったことは、食洗機を置く置かないということよりも、夫婦で解決すべき問題を、2人で一緒に考えること。
そりゃ、僕がとことん調べて「これ!あとこれ!これをここに置く!」と最適解を割り出したら、怒るわけですよ。片方は時間かけてググって調べた内容をまとめた労力を無駄にされた感じがして、もう片方は勝手に1人で話を進めたことに不満があって、お互いがイライラして、話が噛み合っていませんでした。
2人で一緒に相談しながら一つのことを決めていくのって、結婚式のプランを考えるときにやったんですけどね、その時のことをすっかり忘れてました。食洗機の件を通して、結婚に向けて2人でたくさん話し合ったことをふと思い出しました。(あ、でも例のケーキは、ほとんど自分で決めてしまったような)
先週のnewsletter配信後の週末は、結構ハラハラしましたよ。
ともかく、シロカの食洗機の発売日が5月21日なので、それまで考えたら良いやという気持ちでいます。概ね買う方向です。今はね。
魚住惇の原動力はどこから来るのか
この話題については、まだ自分なりの答えが見つかっていません。今思っていることをそのまま買いました。それ前提でお読みください。
3月から4月にかけてのこのnewsletterを振り返ると、新年度が始まってから、本当に毎日いろいろなことが起こっています。
今日だって職員室での何気ない会話で、「俺らも新しいことをやらないとね。いつまでもこちらがずっと話す授業をやっててもさ」っていう言葉がふと聞こえてきました。
このコロナの忙しい時に授業改善なんてできっこない。既にPowerPointのスライドだって作ったんだ。もうこれ以上やることなんてないでしょ。生徒に端末を使わせるなんて、何するかわからない。全ての先生がOKって言ったらやっていいよ。
無限に出てくる懸念事項も、今年度に入ってから一度も聞かなくなりました。 少し前まででは、考えられないことが今、僕の勤務校で起こっています。
僕が今抱えている仕事はというと、Teamsとロイロノートのアカウントの整備が終わりました。ロイロノートのアカウントについては、情報Ⅰの授業で随時配布を行い、そのまま使い方講習会を授業内で実施しています。
感心したのは、ロイロノート経験者が1クラスあたり3人ほどどのクラスにもいたことでした。今後もこうした小中学校でクラウドサービスを当たり前のように使ってきた子どもたちが、どんどん入学してくることでしょう。
その経験者たちには、「今から、中学校でロイロノートを使ってきた人だけに指示を出しますね。出身中学校をカードに記入して、魚住まで送ってきてください。」と授業中に言ってみました。もちろんロイロノートを使ったことがない生徒はポカンとしています。でも中学校で使い慣れている経験者にとっては朝飯さっていう感じにホイホイっと作業してくれて、カードを送ってきてくれました。
経験者にしかわからないような言葉の表現で指示を出してみると、伝わる人だけに伝わって行動してくれて、周りの生徒は「今の話で通じてるクラスメイトすげぇ!」的な視線を送ったりする光景がみられて、なかなか楽しめました。
中にはICT機器が苦手だと思っている生徒も少なからずいるかもしれませんが、今のところはなんとか新入生にもGIGAスクールの恩恵を受けられる環境が整いつつあります。
僕の役割というのは、ここまでです。新しい時代に対応した環境を整えて、皆さんに使っていただけるようにしておくこと。僕自身も実際に授業はやりますが、あくまで自分の科目だけです。他の先生方の授業には口は出せません。
環境は整えました。あとは他の教科の先生方がご活用してくださることを願っています。
この新型コロナウイルス感染拡大から始まった、僕の過去2年間に渡る壮大な苦労話について、先週末にとあるZoomの会で、他の先生方にお話しするという機会がありました。
その会については詳しく言えませんが、1ヶ月に1回、誰かが話し手を務めて、自分の身に起こった出来事を話すというものです。聞き手の人は、話し手の人が話終わった後で、1人ずつコメントをしていきます。
僕はその回で話し手を経験したことがなく、特に話すこともなかったので、最後の最後まで話し手をやっていませんでした。ところがそのZoomの会が最終回を迎えることになったので、それなら最後の機会に自分が話そうって思ったのでした。
その会では、これまでnewsletterに書いてきた内容や、ここでは語れないほど具体的な内容までもを存分に語りました。不特定多数の方が見られるnewsletterとは違い、参加者の信頼性がある程度担保される空間だったので、少し過激な発言もしました。
そこで僕のこれまでの熱意を聞いてくださった方の中から、質問が出ました。
「魚住先生が、どうしてそこまで熱意を保ったまま、頑張ってこれたのか気になる。認められないまま頑張り続けることなんて、長続きしない。普通はどこかで諦めてしまう。それなのに魚住先生は、事態が好転するまで諦めなかった。どうしてここまで頑張ることができたのか。熱意の源が知りたい。」
やぁ、これね、言われるまで気づきませんでした。正直なことを言うと、何度も諦めようと思って、でも思いとどまってを繰り返しているうちに、今となってはその行動が「諦めなかった」と言う表現が似合うものになっていただけなんじゃないかって思っています。
なぜ僕は、全否定され、職員室で怒鳴られ、反対されながらも、ここまで自分の信念を貫くことができたのか。
その会では、「GIGAスクール構想が加速していく中で、いろんな学校からの事例が公開されて、勤務校と事例校を比べてしまった。この差を少しでも縮めたいと思って、追いつこうと思って、ただひたすら走り続けた。」と答えました。ただしこれが、他校に遅れないように追いつこうと思って奮闘した結果、実は近隣の高校と比べたらだいぶ最先端を走っていたって言うことが、今年度になってわかることにもなりました。
咄嗟に答えたのは、他校との差を埋めたいということでしたが、話しているうちに、なんかちょっとこの考えだけでは、これほどまでの熱意の理由にはならないんじゃないか?とも自分で思えてきました。
なのでここ最近は、「自分の何が、この熱意を保ったままにしてくれているのか」をひたすら内部探検していました。
新しいものを早く試したい、自分の功績を増やしたい、目の前の生徒のために行動したい。などなど、色々と言葉が出てきましたが、どれも納得できそうで、どこか押しが弱いとも思ってしまいました。
ゆかさんにこのことを相談してみると、「俺がこれを設定したんだ!って、目立ちたいんじゃないの?」という答えが返ってきました。これはね、なかなか核心に迫った感じがしました。でもこれだけじゃないような気もします。
自分が目立ちたいから
人の役に立ちたいから
関わる子どもたちに最適な環境を提供するため
文科省や愛知県教育委員会が進める通りに仕事をするため
今考えうる理由を整理してみましたが、どれもこれだけでは「これだ!」と思えるものがありませんでした。
少し前に、とある卒業生が「自分は将来の夢について、他のみんなと比べてこれという目標がありませんでした。だから、夢や希望を抱えている人たちの暮らしを守りたいと思って、消防士を志そうと思うようになりました。」って話しているのを聞いて、僕はえらく感動しました。
なんかね、この言葉に匹敵するくらいの、自分の信念に、たどり着けてない気がしていて、ちょっと悔しいんですよ。
ひょっとしたら、今回のこの自分への問いは、「生きる意味」を探すほどの大きなテーマかもしれません。こういう大きなテーマって、探すことそのものが理由だったりしますよね。もしその類の問いだったら、あともうちょっとのところまで考えたのになぁって、少し残念に思います。
かなりダラダラと書いてしまいましたが、僕自身がなぜここまで心を熱く保てるのか、ちょっとまだたどり着けていません。新しいことを思いつき次第、文章にまとめたいと思っています。
今回のnewsletterは以上となります。まとまりのない文章を最後までお読みいただきありがとうございました。 応援の気持ちを、「いいね」で表現していただけるとうれしいです。内容に関するご意見ご感想がありましたら、「#こだわりらいふ」をつけたツイートや、Substack内のコメントまでお願いします。